今回の米国金融危機の場合には、一つには、この銀行取り付けにきわめて類似した事態が起こって、システムミックーリスクが顕在化することになったと考えられる。証券化商品に投資をしていたヘッジファンドや投資専門会社は、資金調達において外部負債に依存する度合(レバレッジ)が著しく高くなっていたと同時に、それらの負債の満期限は(運用対象に比べて)ごく短期のものであった。要するに、それらの財務構造は、「短期で借りて長期で貸す」という銀行類似のものであった。こうした状態において、不安に駆られた資金提供者が一斉に解約を求めたり、借り換えに応じなくなった結果として。システム危機に至ったといえる。
もっとも、こうした事態は、右で述べたようなブルーテンス政策を適切に実施していれば防止可能なはずのものである。換言すると、今回米国で金融危機が発生した理由の一つは、米国における金融規制監督の体制が不十分で整合性を欠いたものであったことにあるといえる。すなわち、伝統的な銀行部門に対しては、既述のようなブルーテンス政策が実施されていたが、伝統的な銀行部門の外側で発達し、銀行類似の機能を果たすようになっていた部分に対しては、ほとんど規制監督が及んでいなかった。
こうした規制監督の範囲外にあった部分は、現在では「影の銀行システム(Shadow Banking System)」と呼ばれるようになっている。影の銀行システムが発達していることは、全く気づかれていなかったわけではなく、それに対する規制監督を強化すべきだという指摘も行われていた。にもかかわらず、規制監督がほとんど加えられてこなかった。
例えば、A・ブラインダー教授の指摘によれば、一九九四年に米商品先物取引委員会(CFTC)がOTCデリバティブに対する規制を提案していたけれども、米財務省、FRB、米証券取引委員会(SEC)が反対し、実現しなかった。また、二〇〇四年には、SECが大手投資銀行に対する自己資本比率規制を緩和し、高レバレッジを許容した。さらに○四~○七年の頃には、サブプライムーローンが急増するとともに、融資基準は劣悪なものとなり、不透明な取引も横行していたことが明白だったのに、それらをどの規制監督当局も止めようとしなかった。
このように規制監督上の無作為が放置されてきたという点において、ブッシュ政権(一部は、その前のクリントン政権)の政策対応に問題があったといわざるを得ない。この意味で、今回の米国における金融危機の発生は、政府の政策対応の失敗によるものだという面が少なくない。こうした「政府の失敗」が生じた背景には、ブッシュ政権の自由放任主義的なイデオロギーに加えて、投資銀行関係者等がロビー活動その他を通じて強い影響力を行使してきたという政治経済学的な要因があるとみられる。
2016年4月1日金曜日
2016年3月1日火曜日
第七章は安保理の専権
しかし、冷戦下で安保理が麻原状態に陥ったため、総会は常に、この制約を乗り越えて権限を拡張しようと努力してきた。一九五〇年十一月に採択された有名な「平和のための結集決議」は、安保理常任理事国の一致が得られない場合は、総会に問題を付託し、総会が開かれていない場合は理事国七力国(現在は九力国)の賛成による要請か、加盟国の過半数の要請で、緊急特別会期を開くことができる、と定めた。
この決議自体は、朝鮮戦争に関連し、旧ソ連との対立で機能麻庫に陥った安保理を迂回する目的で米国が中心となっ
て成立させたものだが、その後、総会権限を強化する先例になった。
この緊急特別会期はスエズ紛争やハンガリー動乱、中東問題、コンゴ事件などに際して何度も開かれており、安保理か機能しない中で、国連の信用度をかろうじて支えてきたシステムだ、と言えるだろう。その後も総会は、安保理とほぽ並行して審議をし、国際社会の声によって安保理を牽制したり、圧力をかけるなどの役割を果たしている。
だが、ここで忘れてならないのは、その前提に立った上でなお、第七章による強制措置については、安保理の専権事項とされていることだろう。加盟国に法的な拘束力を課すという強力な権限は、あくまで安保理にのみ委ねられている。総会は、監視や監督、調査といった事項については権限を持ち、さらに国際社会の声によって政治的、道義的な圧力をかけられるが、その最終的な実行を保証する力は持っていない。
冷戦後に安保理が結束し、第七章に基づく強制措置を発動する機会が増えるにつれ、総会の権限が相対的に薄れてきたのは偶然ではない。後で見るように、国連の中で、近年安保理の機構改革が焦点になるに至った背景には、大国主導の国連運営に対する加盟国の危機感が横たわっているとも言える。
この決議自体は、朝鮮戦争に関連し、旧ソ連との対立で機能麻庫に陥った安保理を迂回する目的で米国が中心となっ
て成立させたものだが、その後、総会権限を強化する先例になった。
この緊急特別会期はスエズ紛争やハンガリー動乱、中東問題、コンゴ事件などに際して何度も開かれており、安保理か機能しない中で、国連の信用度をかろうじて支えてきたシステムだ、と言えるだろう。その後も総会は、安保理とほぽ並行して審議をし、国際社会の声によって安保理を牽制したり、圧力をかけるなどの役割を果たしている。
だが、ここで忘れてならないのは、その前提に立った上でなお、第七章による強制措置については、安保理の専権事項とされていることだろう。加盟国に法的な拘束力を課すという強力な権限は、あくまで安保理にのみ委ねられている。総会は、監視や監督、調査といった事項については権限を持ち、さらに国際社会の声によって政治的、道義的な圧力をかけられるが、その最終的な実行を保証する力は持っていない。
冷戦後に安保理が結束し、第七章に基づく強制措置を発動する機会が増えるにつれ、総会の権限が相対的に薄れてきたのは偶然ではない。後で見るように、国連の中で、近年安保理の機構改革が焦点になるに至った背景には、大国主導の国連運営に対する加盟国の危機感が横たわっているとも言える。
2016年2月1日月曜日
小口取引を扱うシステム
EMU外の諸国もユーロ支払いができるように、TARGETにリンクすることが許されている。TARGETは、これまでのヨーロッパの電気通信システムを大きく変えた。これまでのシステムと新しいシステムの比較を、フランスのケースを例として説明してみよう。図は、これまでの支払いシステムの構造である。取引銀行からの流れは、国内線と国際線に大別される。国内線は、小口取引(五〇〇〇フラン以下)と大口取引(五〇〇〇フラン以上)に分かれる。
小口取引を扱うシステムは銀行間テレコム通信システムSITであり、大口取引を扱うシステムは二つあるが、ひとつはすべての銀行に開かれたテレコンベンセイション・システムTBF、もう一つは有力銀行がリスク防止を分担するネットープロテジエーシステムSNPである。この国内線の三つはすべて支払い銀行に集中され、取引相手に支払われる。国際線は国際電気通信支払いシステムSWIFTによる銀行間ネットワークを通して、相手側に支払われる。これまでの実績を見るかぎり、SWIFTにはエラーが多く、コストも高くついた。
同じページの下の図は、未来のユーローシステムを示したものである。複雑な構成に見えるが、図の在来システムをベースにして比較すれば理解は容易である。つまり、在来システムに新しくつけ加わったのは、ECSとTARGETである。ECSはユーロ精算システムのことで、これまでのECU精算のための銀行間システムを母体にするものである。さしあたって、ECSの運用はSWIFTが管理するが、ユーロ登場後はECU精算がユーロ精算に替わることになる。最も重要な回線は、TBFITARGET線で、これがユーローシステムの大動脈になるのである。フランスの例で例解したが、TBFの代わりに各国の大目取引回線が位置すると考えればよい。
なお、TARGETへの域外回線のリンクについて、ちょっとした論争が生じた。域外からの「一日預金」を認めるかどうかという問題である。もし、域外の銀行が「一日預金」をするとすれば、ユーローゾーンのマネーサプライに影響し、金融政策にも影響を与えるだろう。それゆえに、そのようなアクセスは許されなかったのである。
小口取引を扱うシステムは銀行間テレコム通信システムSITであり、大口取引を扱うシステムは二つあるが、ひとつはすべての銀行に開かれたテレコンベンセイション・システムTBF、もう一つは有力銀行がリスク防止を分担するネットープロテジエーシステムSNPである。この国内線の三つはすべて支払い銀行に集中され、取引相手に支払われる。国際線は国際電気通信支払いシステムSWIFTによる銀行間ネットワークを通して、相手側に支払われる。これまでの実績を見るかぎり、SWIFTにはエラーが多く、コストも高くついた。
同じページの下の図は、未来のユーローシステムを示したものである。複雑な構成に見えるが、図の在来システムをベースにして比較すれば理解は容易である。つまり、在来システムに新しくつけ加わったのは、ECSとTARGETである。ECSはユーロ精算システムのことで、これまでのECU精算のための銀行間システムを母体にするものである。さしあたって、ECSの運用はSWIFTが管理するが、ユーロ登場後はECU精算がユーロ精算に替わることになる。最も重要な回線は、TBFITARGET線で、これがユーローシステムの大動脈になるのである。フランスの例で例解したが、TBFの代わりに各国の大目取引回線が位置すると考えればよい。
なお、TARGETへの域外回線のリンクについて、ちょっとした論争が生じた。域外からの「一日預金」を認めるかどうかという問題である。もし、域外の銀行が「一日預金」をするとすれば、ユーローゾーンのマネーサプライに影響し、金融政策にも影響を与えるだろう。それゆえに、そのようなアクセスは許されなかったのである。
2016年1月4日月曜日
金融再生トータルプラン
今回の行政改革論議では二つの問題が入り交じっていたように思う。一つは、時代の要請に応じた最も効率的な行政機構はいかにあるべきか、である。そのためには縦割り行政の弊害を廃するために省庁を大きく統合するのも一つの方法だろう。あるいは行政の分野でも世界に通用する高度な知識・経験を要する時代になったのだから、行政組織も専門分野ごとに区分けをしたほうが効率的だという考え方もありうる。
もう一つの問題は、現代社会では複雑化・膨大化せざるをえない行政機構を、独走しないよういかにしてコントロールするかという課題である。行政組織を分割してその力を弱め、制御しやすくするという方法がないではない。しかしやはりこの問題に対処する王道は、もっと積極的に政治が行政を指導しうる態勢を整えることにあるのではないか。これはいわば行政に対する「シビリアンーコントロール」(政治の指導力)の問題である。
アメリカの国防総省(ペンタゴン)は、圧倒的・独占的な軍事力を支配している強大な行政組織である。しかしだからといって、陸・海・空の三つに分けてしまえという議論は聞かない。ペンタゴンの独走をコントロールするのは、分割して組織としての力を弱めることによってではなく、政治の指導力を確保することによって対処するのがスジである。アメリカでは、それは主として国防長官以下の政府高官の政治任命制や、見識の高い政治家が議会で常に目を光らせていることによって有効に働いている。
九七年十一月における相次ぐ金融機関の経営破綻により、預金者の不安と動揺が広がるとともに、わが国の金融システムに対する内外の信頼が大きく低下する事態となった。このままでは経済社会全体への影響も懸念されるため、早期に金融システムの安定化を図る緊急措置として、預金保険法の改正と金融機能安定化緊急措置法の制定が提案され、翌年二月十六日に成立した。この構想は、橋本改造内閣では野に下っていた梶山前宜房長官のイニシアティブで提案されたものであった。
もう一つの問題は、現代社会では複雑化・膨大化せざるをえない行政機構を、独走しないよういかにしてコントロールするかという課題である。行政組織を分割してその力を弱め、制御しやすくするという方法がないではない。しかしやはりこの問題に対処する王道は、もっと積極的に政治が行政を指導しうる態勢を整えることにあるのではないか。これはいわば行政に対する「シビリアンーコントロール」(政治の指導力)の問題である。
アメリカの国防総省(ペンタゴン)は、圧倒的・独占的な軍事力を支配している強大な行政組織である。しかしだからといって、陸・海・空の三つに分けてしまえという議論は聞かない。ペンタゴンの独走をコントロールするのは、分割して組織としての力を弱めることによってではなく、政治の指導力を確保することによって対処するのがスジである。アメリカでは、それは主として国防長官以下の政府高官の政治任命制や、見識の高い政治家が議会で常に目を光らせていることによって有効に働いている。
九七年十一月における相次ぐ金融機関の経営破綻により、預金者の不安と動揺が広がるとともに、わが国の金融システムに対する内外の信頼が大きく低下する事態となった。このままでは経済社会全体への影響も懸念されるため、早期に金融システムの安定化を図る緊急措置として、預金保険法の改正と金融機能安定化緊急措置法の制定が提案され、翌年二月十六日に成立した。この構想は、橋本改造内閣では野に下っていた梶山前宜房長官のイニシアティブで提案されたものであった。
2015年12月1日火曜日
より深刻なのは大阪便
地方空港は今、国際線や国内基幹路線を多数抱える大都市の空港とは違い、利用客の増減によってその環境が目まぐるしく移り変わっている。松山空港でもこれまで「ドル箱路線」と呼び続けられてきた東京便が年明け以降、景気悪化に伴ってビジネス客の利用が減少。一方、ウォン安により国際線のソウル便は80%以上の搭乗率を記録している。4月から大手航空各社が大幅減便などを決めているなか、地方交通の現状を松山空港から探ってみた。
航空機の機種などによって差異はあるが、搭乗率の採算ラインとされるのは一般的に60~65%とされている。年間約150万人が利用する東京便。搭乗率は昨年11月までは70%を超えていたが、顕在化した景気の落ち込みの影響から、12月、1月と連続して一気に60%を割り込んだ。愛媛県庁に事務局を置く松山空港利用促進協議会は「不況の影響で企業が出張を手控えたことが大きく影響している」と分析している。
高速交通機関との競合がないこともあり、日本航空は昨年11月に実施した1日5便の増便を4月以降も継続することを決めているが、より深刻なのは大阪便だ。
とりわけ関西空港は大阪南部という不便さなどから、航空各社が相次いで同空港発着の各路線の減便や廃止を決定しているが、松山空港から1日6便(3往復)を運航する全日空の減便の判断の行方も注目されている。一方、伊丹便は2月の機材変更もあり、日本エアコミューターを含めた搭乗率は70%弱まで回復したものの、月間の搭乗者数は1万人近い落ち込みをみせている。
航空機の機種などによって差異はあるが、搭乗率の採算ラインとされるのは一般的に60~65%とされている。年間約150万人が利用する東京便。搭乗率は昨年11月までは70%を超えていたが、顕在化した景気の落ち込みの影響から、12月、1月と連続して一気に60%を割り込んだ。愛媛県庁に事務局を置く松山空港利用促進協議会は「不況の影響で企業が出張を手控えたことが大きく影響している」と分析している。
高速交通機関との競合がないこともあり、日本航空は昨年11月に実施した1日5便の増便を4月以降も継続することを決めているが、より深刻なのは大阪便だ。
とりわけ関西空港は大阪南部という不便さなどから、航空各社が相次いで同空港発着の各路線の減便や廃止を決定しているが、松山空港から1日6便(3往復)を運航する全日空の減便の判断の行方も注目されている。一方、伊丹便は2月の機材変更もあり、日本エアコミューターを含めた搭乗率は70%弱まで回復したものの、月間の搭乗者数は1万人近い落ち込みをみせている。
2015年11月2日月曜日
アジアの奇跡
アメリカ住宅市場のサブプライムーローン(信用度の低い個人向けローン)が問題になったのは、まだ三年前であり、とくに欧米の銀行システムが大問題を抱えていることが判明したのは、二〇〇七年八月である。また、二〇〇八年九月にリーマンーブラザーズの衝撃的な破綻が起こり、AIGとシティーグループ、それにバンクーオブーアメリカが事実上、国有化された結果、突如として世界中の消費と企業投資の減退を引き起こした。つまり、それらの混乱から、あまり時間が経っていないからである。今後、驚くような新たな出来事が、たしかに起こるかもしれない。そのことは、日本を思い起こしてみればよく分かる。
一九九〇年に日本の金融バブルが崩壊後、二圭二年経ったとき、「失われた十年」が本当に十年間続くと予言した人はいなかった。それだけでなく、今日に至っても、日本が賃金低下と家計支出の減少、高い失業率、そしてGDP(国内総生産)の二〇〇パーセント超に相当する公的債務に悩まされると予想した人も少なかった。ゆえに、今後もっと多くの変革が起こるかもしれない。二〇〇七~○九年の経済危機は、ひょっとすると見かけ以上に、深刻な長期的打撃を与えているかもしれない。にもかかわらず、二〇一〇年初期の現在に至って驚くのは、経済危機がわずかな変革をもたらしただけで、それが大きくなかったことである。
とくに欧米の金融市場が規制される点では、たしかに大きな変化が見られるだろう。また、アメリカやイギリス、その他のヨーロッパ諸国では財政赤字が増大するため、将来、増税もしくは歳出の削減、あるいは両方が実施されるだろう。だが、これらの変化は、じつは根本的なものではない。グローバルの流れは、健全なままである。保護主義の脅威はあるが、そのプロセスをひっくり返すほど強力ではない。中国やインドなどの新興国や発展途上国において、経済成長には、市場の自由化、民間部門の自由化が必要だという考えは変わっていない。とくにアジア諸国においては、政府が果たす役割は、アメリカに比べて大きい。しかし、それは日本が先導した。アジアの奇跡(東アジア諸国の急速な経済成長)という、半世紀を通じての話にすぎない。
アメリカやヨーロッパでは、いくつかの銀行が、とくにアメリカの場合には、自動車メーカーまでが国有化されたが、誰もこれを恒久的なものだとは思っていない。人々は、首相や大統領が銀行家や経営者になることを望んではいないのだ。唯一、大きな変革が予想される分野は、金融サービスの部門、なかでも投資銀行である。株主はリスクをより避けるようになり、金融規制関係者は、銀行に対し資本を拡充することを求めるだろう。また、デリバティブ(金融派生商品)市場は、より透明性を増し、厳格に規制されると思われる。
地政学の観点から見れば、明らかにこの金融危機がもたらしたといえる結果は、富める国だけでなく、貧しい国や発展途上国を加えたより広範な金融サミットG20(二〇力国・地域首脳会合)が創設されたことである。だが、厳密にいえば、その母体は存在していたので、拡大されたというほうが正確であろう。しかし、中国やインド、それにブラジルの重要性は以前から高まっていたので、G20に拡大するのは、もはや時間の問題であった。バラクーオバマ大統領が直面しでいる外交上の問題は、前任者が抱えたものとほぼ同じである。ただ、オバマ氏が大統領に選ばれたことや、それから生じた方針転換は、アメリカのイメージを世界的に向上させるきっかけにはなった。
一九九〇年に日本の金融バブルが崩壊後、二圭二年経ったとき、「失われた十年」が本当に十年間続くと予言した人はいなかった。それだけでなく、今日に至っても、日本が賃金低下と家計支出の減少、高い失業率、そしてGDP(国内総生産)の二〇〇パーセント超に相当する公的債務に悩まされると予想した人も少なかった。ゆえに、今後もっと多くの変革が起こるかもしれない。二〇〇七~○九年の経済危機は、ひょっとすると見かけ以上に、深刻な長期的打撃を与えているかもしれない。にもかかわらず、二〇一〇年初期の現在に至って驚くのは、経済危機がわずかな変革をもたらしただけで、それが大きくなかったことである。
とくに欧米の金融市場が規制される点では、たしかに大きな変化が見られるだろう。また、アメリカやイギリス、その他のヨーロッパ諸国では財政赤字が増大するため、将来、増税もしくは歳出の削減、あるいは両方が実施されるだろう。だが、これらの変化は、じつは根本的なものではない。グローバルの流れは、健全なままである。保護主義の脅威はあるが、そのプロセスをひっくり返すほど強力ではない。中国やインドなどの新興国や発展途上国において、経済成長には、市場の自由化、民間部門の自由化が必要だという考えは変わっていない。とくにアジア諸国においては、政府が果たす役割は、アメリカに比べて大きい。しかし、それは日本が先導した。アジアの奇跡(東アジア諸国の急速な経済成長)という、半世紀を通じての話にすぎない。
アメリカやヨーロッパでは、いくつかの銀行が、とくにアメリカの場合には、自動車メーカーまでが国有化されたが、誰もこれを恒久的なものだとは思っていない。人々は、首相や大統領が銀行家や経営者になることを望んではいないのだ。唯一、大きな変革が予想される分野は、金融サービスの部門、なかでも投資銀行である。株主はリスクをより避けるようになり、金融規制関係者は、銀行に対し資本を拡充することを求めるだろう。また、デリバティブ(金融派生商品)市場は、より透明性を増し、厳格に規制されると思われる。
地政学の観点から見れば、明らかにこの金融危機がもたらしたといえる結果は、富める国だけでなく、貧しい国や発展途上国を加えたより広範な金融サミットG20(二〇力国・地域首脳会合)が創設されたことである。だが、厳密にいえば、その母体は存在していたので、拡大されたというほうが正確であろう。しかし、中国やインド、それにブラジルの重要性は以前から高まっていたので、G20に拡大するのは、もはや時間の問題であった。バラクーオバマ大統領が直面しでいる外交上の問題は、前任者が抱えたものとほぼ同じである。ただ、オバマ氏が大統領に選ばれたことや、それから生じた方針転換は、アメリカのイメージを世界的に向上させるきっかけにはなった。
2015年10月1日木曜日
アジア危機の主因は何か
インドネシアの企業も海外から膨大な資金を調達した。韓国の財閥もかなりの勢いで海外の資金を導入した。もともと貯蓄率の高い経済が、さらにそれに上積みする形で外国資本に依存したわけである。
しかも、それらの資金はドル建てで借人した資金だった。ドル建てということは、自国の通貨がドルに対して安定しているときはいいが、暴落したときはそれだけ借金が増えてしまう。例えば、インドネシアのルピアはいま一ドルー万三〇〇〇ルピア前後だが、ほとんどのインドネシア企業が借りたときは二五〇〇ルピアぐらいだった。この為替差損だけで借金が五倍に膨れてしまう。こうした資金に全面的に依存してきた企業なら破産してしまうことになる。
アジアの国々は、対外借入をするとき、実は為替リスクがあるということに気がついていなかった。言葉を換えれば、グローバル化、ヅアーチャル化に慣れていなかったのである。逆に、貸し手の側も、アジアは二十一世紀の成長センターという思いこみから、「アジアーリスク」というものの存在を意識せず、どんどん貸しこんでいった。
日本の銀行も競ってアジアに支店を出した。一番最後にやってきたヨーロッパの銀行もどんどんアジアに貸しこんでいった。しかも、普通ならカントリー・リスクがあり、クレジットーレーティングの低い国なら金利を上積みするのに、実際はほとんどプレミアムをとらず、低金利で貸しこんだのである。そして、最後に責任をとらないまま逃げ出してしまった。それによって危機がもたらされたのは周知の通りだ。非常に大量の資本が瞬時にして動く世界は、ある意味で非常にリスキーな世界なのである。
マハティール首相は、「我々が営々として戦後五十年かかって築いたものが、一瞬にしてなくなってしまう」と嘆いたと伝えられるが、相当数のアジアの人々が、自らの貯蓄と勤勉さで築いた富がマネーゲームで消えてしまったという割り切れない思いを抱いたのは当然のことである。
しかも、それらの資金はドル建てで借人した資金だった。ドル建てということは、自国の通貨がドルに対して安定しているときはいいが、暴落したときはそれだけ借金が増えてしまう。例えば、インドネシアのルピアはいま一ドルー万三〇〇〇ルピア前後だが、ほとんどのインドネシア企業が借りたときは二五〇〇ルピアぐらいだった。この為替差損だけで借金が五倍に膨れてしまう。こうした資金に全面的に依存してきた企業なら破産してしまうことになる。
アジアの国々は、対外借入をするとき、実は為替リスクがあるということに気がついていなかった。言葉を換えれば、グローバル化、ヅアーチャル化に慣れていなかったのである。逆に、貸し手の側も、アジアは二十一世紀の成長センターという思いこみから、「アジアーリスク」というものの存在を意識せず、どんどん貸しこんでいった。
日本の銀行も競ってアジアに支店を出した。一番最後にやってきたヨーロッパの銀行もどんどんアジアに貸しこんでいった。しかも、普通ならカントリー・リスクがあり、クレジットーレーティングの低い国なら金利を上積みするのに、実際はほとんどプレミアムをとらず、低金利で貸しこんだのである。そして、最後に責任をとらないまま逃げ出してしまった。それによって危機がもたらされたのは周知の通りだ。非常に大量の資本が瞬時にして動く世界は、ある意味で非常にリスキーな世界なのである。
マハティール首相は、「我々が営々として戦後五十年かかって築いたものが、一瞬にしてなくなってしまう」と嘆いたと伝えられるが、相当数のアジアの人々が、自らの貯蓄と勤勉さで築いた富がマネーゲームで消えてしまったという割り切れない思いを抱いたのは当然のことである。
2015年9月1日火曜日
人口構造の変化
1960年代の高度経済成長の時代には、日本の国内市場でも同じような壮絶なシェア拡大競争が繰り広げられてきた。日本の企業はこうしたシェア競争が得意だったはずだ。競争がいきすぎて、あまりに同質競争になったことを反省したほどだ。国内市場が成熟化する中で、同質競争を脱することが必要といわれてきた。しかし中国市場で勝ち残るためには、高度経済成長の時代のDNAを掘り起こして同質競争に勝ち残らなくてはいけないのかもしれない。
2010年夏、中国の沿岸部の工場での賃上げやそれをめぐるストが大きな話題になった。50万人前後の労働者を使っているとされ、世界中の主力企業のために電子機器の生産を行っていた台湾系の富士康科技集団(フォックスコン)で地方出身の若い労働者の自殺が続いた。これがきっかけで、この会社は所得倍増ともいうような賃上げを行った。このころから沿岸部の多くの工場で賃上げの動きが顕著になり、日系企業の多くも中国での生産コスト上昇への対応を検討せざるをえない状況である。
この動きをどう見るべきなのだろうか。いろいろな見方があるだろう。一つは中国が直面する深刻な格差問題である。格差の大きさについては今さら強調する必要もないことだろうが、重要なことはそれが共産党一党独裁という政治体制の中で起きているということだ。政府のトップはこの事態を非常に重く見ているはずだ。人口の半分以上を占める貧しい国民の不満が蔓延すれば体制を揺るがす動きにもなりかねない。政府にとって労働者の賃金が上がっていくことはこうした不満を解消するうえで都合がよいことであることを理解する必要がある。
第二の論点は、中国の人口構造の変化である。中国が本格的に1人っ子政策をとってからすでに30年以上がたっている。若年労働者の数は頭打ちとなっている。総人口の中に占める生産年齢人口の割合も少しずつ減少し始め、2015年からはその絶対数も減り始めるようだ。こうした人口構造の変化がすぐに労働者の賃金に反映されるわけではないが、私にはこの人口動態の変化が気になる。そして第三の重要な視点は、人民元問題との関係だ。中国の輸出競争力を反映して、政治的にも経済的にも人民元に対して強い切り上げ圧力がかかっている。中国にとっては人民元を上げることのメリットは多いはずだが、さまざまな理由によってその切り上げに政府は慎重だ。
こうした中で、人民元を大きく切り上げなくても、企業のコストアップにつながる賃金の大幅な引き上げが起これば人民元の切り上げ幅を抑えることができる、という思惑を中国政府が持ってもおかしくない。経済学的には、為替レートが切り上がることと、国内の賃金や物価が上がることは同じ効果を持っているからだ。政治的に見ても、人民元切り上げに追い込まれたという形になるより、労働者が大幅賃上げを勝ち取ったという形にしたほうが好ましいという見方もあるだろう。中国の政治のトップの頭の中にそうした考えがあるのかどうかわからないが、賃金引き上げの動きは人民元の動きとの関連で考える必要がある。
2010年夏、中国の沿岸部の工場での賃上げやそれをめぐるストが大きな話題になった。50万人前後の労働者を使っているとされ、世界中の主力企業のために電子機器の生産を行っていた台湾系の富士康科技集団(フォックスコン)で地方出身の若い労働者の自殺が続いた。これがきっかけで、この会社は所得倍増ともいうような賃上げを行った。このころから沿岸部の多くの工場で賃上げの動きが顕著になり、日系企業の多くも中国での生産コスト上昇への対応を検討せざるをえない状況である。
この動きをどう見るべきなのだろうか。いろいろな見方があるだろう。一つは中国が直面する深刻な格差問題である。格差の大きさについては今さら強調する必要もないことだろうが、重要なことはそれが共産党一党独裁という政治体制の中で起きているということだ。政府のトップはこの事態を非常に重く見ているはずだ。人口の半分以上を占める貧しい国民の不満が蔓延すれば体制を揺るがす動きにもなりかねない。政府にとって労働者の賃金が上がっていくことはこうした不満を解消するうえで都合がよいことであることを理解する必要がある。
第二の論点は、中国の人口構造の変化である。中国が本格的に1人っ子政策をとってからすでに30年以上がたっている。若年労働者の数は頭打ちとなっている。総人口の中に占める生産年齢人口の割合も少しずつ減少し始め、2015年からはその絶対数も減り始めるようだ。こうした人口構造の変化がすぐに労働者の賃金に反映されるわけではないが、私にはこの人口動態の変化が気になる。そして第三の重要な視点は、人民元問題との関係だ。中国の輸出競争力を反映して、政治的にも経済的にも人民元に対して強い切り上げ圧力がかかっている。中国にとっては人民元を上げることのメリットは多いはずだが、さまざまな理由によってその切り上げに政府は慎重だ。
こうした中で、人民元を大きく切り上げなくても、企業のコストアップにつながる賃金の大幅な引き上げが起これば人民元の切り上げ幅を抑えることができる、という思惑を中国政府が持ってもおかしくない。経済学的には、為替レートが切り上がることと、国内の賃金や物価が上がることは同じ効果を持っているからだ。政治的に見ても、人民元切り上げに追い込まれたという形になるより、労働者が大幅賃上げを勝ち取ったという形にしたほうが好ましいという見方もあるだろう。中国の政治のトップの頭の中にそうした考えがあるのかどうかわからないが、賃金引き上げの動きは人民元の動きとの関連で考える必要がある。
2015年8月1日土曜日
一村一品運動の究極の目標
塾是は「継続、実践、啓発」私が塾生に常に言っている言葉が二つある。ひとつは「継続は力である」ということ。実践することはたやすい。しかし、失敗しても挫けずに、一度やり始めたらあくまでも継続する。これは難しい。不僥不屈は力の源泉である。
この言葉は、私の父が戦前に自分で設立した私立夜間学校の校訓でもあった。高等師範学校を卒業して大分に戻った父は、昼間働き夜勉強する子弟のための三年制の学校を創立した。入学時一〇〇人を超す生徒も、三年間継続しての通学は容易でなく、卒業時はわずか三〇人程度。まさに、「継続は力」なのである。
もう一つは、J・ネイスビッツの言葉で、「グ口ーバルに考え、ローカルに行動せよ」。豊の国づくり塾の活動は、市町村独自の塾の結成を誘発した。これまで二二塾。八八七人。市町村が主催しているものもあれば、若者たちが独自に開いている塾もある。
地域をおこすのは、東京からの知恵ではだめだ。あくまでも地域の特性に根ざした地方からの発想で、しかもグローバルな評価に耐えられるものでなければならない。一村一品運動の精神と同じである。自分たちの工夫でやっていく自主性を大切にしたい。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」である。
その豊の国づくり塾は、市町村塾の卒塾生も含めて、平成元年八月に「こすもすコース」(六〇人、一年間)を開設した。「こすもす」とは宇宙のこと。それぞれの地域が宇宙の中心となって、国内はもとより、世界各国との交流を広げ、ローカルにしてグローバルな地域を築くことを志している。
私の好きなこの『若者たち』の歌は、「塾歌」でもある。塾生を囲んで、夜を徹しての地域づくり論議。麦焼酎を片手に口角泡を飛ばす。最後に決まってこの歌が出る。地域で黙々と精進する若者たち。その行く道は険しく、かつ遠い。しかし、必ず未来は開けるものである。この歌は私たちに勇気を与えてくれる。地域を思う人がいる限り、過疎は怖くない。そういう人を育てたいと思っている。「人づくり」こそ、一村一品運動の究極の目標である。
この言葉は、私の父が戦前に自分で設立した私立夜間学校の校訓でもあった。高等師範学校を卒業して大分に戻った父は、昼間働き夜勉強する子弟のための三年制の学校を創立した。入学時一〇〇人を超す生徒も、三年間継続しての通学は容易でなく、卒業時はわずか三〇人程度。まさに、「継続は力」なのである。
もう一つは、J・ネイスビッツの言葉で、「グ口ーバルに考え、ローカルに行動せよ」。豊の国づくり塾の活動は、市町村独自の塾の結成を誘発した。これまで二二塾。八八七人。市町村が主催しているものもあれば、若者たちが独自に開いている塾もある。
地域をおこすのは、東京からの知恵ではだめだ。あくまでも地域の特性に根ざした地方からの発想で、しかもグローバルな評価に耐えられるものでなければならない。一村一品運動の精神と同じである。自分たちの工夫でやっていく自主性を大切にしたい。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」である。
その豊の国づくり塾は、市町村塾の卒塾生も含めて、平成元年八月に「こすもすコース」(六〇人、一年間)を開設した。「こすもす」とは宇宙のこと。それぞれの地域が宇宙の中心となって、国内はもとより、世界各国との交流を広げ、ローカルにしてグローバルな地域を築くことを志している。
私の好きなこの『若者たち』の歌は、「塾歌」でもある。塾生を囲んで、夜を徹しての地域づくり論議。麦焼酎を片手に口角泡を飛ばす。最後に決まってこの歌が出る。地域で黙々と精進する若者たち。その行く道は険しく、かつ遠い。しかし、必ず未来は開けるものである。この歌は私たちに勇気を与えてくれる。地域を思う人がいる限り、過疎は怖くない。そういう人を育てたいと思っている。「人づくり」こそ、一村一品運動の究極の目標である。
2015年7月1日水曜日
専守防衛から集団的自衛権へ
首相になった後の一九八五年、国連総会で行った演説でも格調高い見識を述べている。「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、(中略)平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、憲法を制定しました。我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にならないことを内外に宣明したのであります。戦争と原爆の悲惨さを身をもって体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にあり得ないことであります。」日ごろの中曽根氏の言動、軍拡論と改憲論を知るものは奇異な感じを受けるかもしれない。外向けと内向けの器用な使い分けの印象もある。だが、ともかく専守防衛はこのように国際社会に向けても披漫されていたのである。
田中首相が一九七二年の国会答弁で「空中給油機の保有は不可」としたのも、空中給油機は専守防衛のもとで「保持しうる装備の限界をこえるのではないか」と追及されたためである。「田中三原則」は、敵基地攻撃能力は保持しないとする専守防衛政策の柱の一つだ。おなじ見地から核兵器、宇宙の軍事利用も、認められない、と政府当局は答えた。その原則が、一九九〇年代の「安保再定義」のなかで少しずつ食い破られていく。そこには九八年以降の北朝鮮の核ミサイル脅威で掻き立てられた排外的キャンペーンが影をおとしている。小泉内閣時の石破防衛庁長官や政府首脳の口から「敵基地攻撃論」「先制攻撃容認論」が公然と語られ、専守防衛をつき崩す姿勢にかっこうの口実を与えた。
「やられたらやり返すということ、相手の基地をたたくことは憲法上認められている」とする民主党の前原誠司議員に対し、石破長官は敵基地攻撃能力保有が「検討に値する」と答えている。その後、二〇〇一年決定の「中期防衛力整備計画」において空中給油・輸送機の整備が認められ、空自は、機体配備を待つのももどかしく米軍とのあいたで訓練を実施した。その二ヵ月後には、第二航空団のF15一〇機が、アメリカのアラスカ州で行われた多国間演習「コープザンダー」に参加するため、空中給油をうけながら太平洋往復飛行を行っている。片道五四〇〇キロの長距離飛行は、東北アジア全域への攻撃能力をみせつけ「敵基地攻撃論」の実体化を誇示した。
年を追って、専守防衛に対する風あたりは圧力を増す。いくつかあげると、二〇〇二年四月、「専守防衛」の概念の見直し。経済同友会「憲法問題調査会活動報告書」「長距離弾道ミサイルやレーダー誘導型ミサイルの拡散に伴い、昨今では一国の領域に侵入することなく攻撃を加え、甚大な被害を与えることが可能になってきた。また、サイバーテロリズムやその他のテロ行為など、新たな形態の危機に備える必要性も増してきている。このような中、敵対国からの直接的な侵攻・侵略を一義的に想定する我が国の「専守防衛」で、充分に対処できるのかという議論がある。」
「二〇〇三年五月二一日、安倍晋三宣房副長官の発言」「北朝鮮の核武装は日本には悪夢だ。それを今、防ぐ手立ては我々にはない。(中略)専守防衛は今後とも変わりはないが、兵器がどんどん進歩し戦術・戦略が変わっていく中で、今までの専守防衛の範囲でいいのかということも当然考えていかなければならない。」(読売国際会議2003)ニ〇〇三年六月二三日、「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」緊急声明」「時代に応じた「専守防衛」の考え方を再構築するために、これまでの国会答弁でも容認されているように、我が国に対する攻撃が切迫している場合等、必要最小限の「相手基地攻撃能力」を保有することができるようにすること。」
田中首相が一九七二年の国会答弁で「空中給油機の保有は不可」としたのも、空中給油機は専守防衛のもとで「保持しうる装備の限界をこえるのではないか」と追及されたためである。「田中三原則」は、敵基地攻撃能力は保持しないとする専守防衛政策の柱の一つだ。おなじ見地から核兵器、宇宙の軍事利用も、認められない、と政府当局は答えた。その原則が、一九九〇年代の「安保再定義」のなかで少しずつ食い破られていく。そこには九八年以降の北朝鮮の核ミサイル脅威で掻き立てられた排外的キャンペーンが影をおとしている。小泉内閣時の石破防衛庁長官や政府首脳の口から「敵基地攻撃論」「先制攻撃容認論」が公然と語られ、専守防衛をつき崩す姿勢にかっこうの口実を与えた。
「やられたらやり返すということ、相手の基地をたたくことは憲法上認められている」とする民主党の前原誠司議員に対し、石破長官は敵基地攻撃能力保有が「検討に値する」と答えている。その後、二〇〇一年決定の「中期防衛力整備計画」において空中給油・輸送機の整備が認められ、空自は、機体配備を待つのももどかしく米軍とのあいたで訓練を実施した。その二ヵ月後には、第二航空団のF15一〇機が、アメリカのアラスカ州で行われた多国間演習「コープザンダー」に参加するため、空中給油をうけながら太平洋往復飛行を行っている。片道五四〇〇キロの長距離飛行は、東北アジア全域への攻撃能力をみせつけ「敵基地攻撃論」の実体化を誇示した。
年を追って、専守防衛に対する風あたりは圧力を増す。いくつかあげると、二〇〇二年四月、「専守防衛」の概念の見直し。経済同友会「憲法問題調査会活動報告書」「長距離弾道ミサイルやレーダー誘導型ミサイルの拡散に伴い、昨今では一国の領域に侵入することなく攻撃を加え、甚大な被害を与えることが可能になってきた。また、サイバーテロリズムやその他のテロ行為など、新たな形態の危機に備える必要性も増してきている。このような中、敵対国からの直接的な侵攻・侵略を一義的に想定する我が国の「専守防衛」で、充分に対処できるのかという議論がある。」
「二〇〇三年五月二一日、安倍晋三宣房副長官の発言」「北朝鮮の核武装は日本には悪夢だ。それを今、防ぐ手立ては我々にはない。(中略)専守防衛は今後とも変わりはないが、兵器がどんどん進歩し戦術・戦略が変わっていく中で、今までの専守防衛の範囲でいいのかということも当然考えていかなければならない。」(読売国際会議2003)ニ〇〇三年六月二三日、「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」緊急声明」「時代に応じた「専守防衛」の考え方を再構築するために、これまでの国会答弁でも容認されているように、我が国に対する攻撃が切迫している場合等、必要最小限の「相手基地攻撃能力」を保有することができるようにすること。」
2015年6月1日月曜日
中国軍事力の近代化
軍事力の近代化にともなって、中国の軍事戦略は大きく変わった。侵攻してくる敵を人民の海の中に誘い込み、包囲・殲滅する遊撃戦主体の毛沢東の「人民戦争戦略」は郵小平時代に放棄され、その代わりに国境付近で外敵の侵略を撃退する局地戦争(限定戦争)に対応した「積極的防禦戦略」が導入された。改革・開放の結果、沿岸部に発展した諸都市の防衛が中国軍にとって急務となったからである。この新戦略の主役となるのは、「合成集団軍」である。
外敵の近代的な機甲師団を撃破するため、兵力、機動力、火力の面で敵を圧倒する装備を持った軍隊の編成だ。歩兵中心のマンパワーに頼ってきた従来の中国軍とはまったく異なる、近代的装備の軍隊のエースこそ、合成集団軍なのである。「精簡整編」をスローガンに進められた軍制改革の結果、中国軍の兵員総数は八〇年代の四百二十万人から、現在は三百万人体制ヘー段とスリム化した。中国軍は常時臨戦態勢の軍隊から、有事に即応性の高い、機動力のある近代的な軍隊へと変貌をとげたのである。中国軍が以前に比べてより進攻型の性格を強く感じさせるのは、このためだ。陸上戦略の転換によって、海洋戦略もまた画期的な改変を見た。
沿海部の都市や軍事施設の警備を中心とする従来の沿岸防衛から、現在は領海の防衛を中心とする近海防衛に重点が移ったのだ。そのための中国海軍近代化の象徴として、航空母艦の保有・建造問題が浮上している。中国外交当局は外国との空母の共同建造や外国からの購入を明確に否定しているが、中国中央軍事委員会が空母二隻を十ヵ年計画で建造する決定をしたとの報道もある。このような海上戦略の転換によって、海洋権益の確保や海上輸送ルートの安全保障を図るためにも、将来、空母保有の必要性が高まることも予想されるのだが、近隣諸国が懸念すべきことは、それよりもむしろ、「シーレーンの航行妨害や台湾の海上封鎖などに威力を発揮するロシア製のキロ級潜水艦の購入や、旧ロメオ級を改良した宋級潜水艦の建造など、潜水艦の戦力増強の動きであろう」(阿部純一「海洋をめざす中国の軍事戦略」『国際問題』九六年十月号)と専門家は見ている。
外敵の近代的な機甲師団を撃破するため、兵力、機動力、火力の面で敵を圧倒する装備を持った軍隊の編成だ。歩兵中心のマンパワーに頼ってきた従来の中国軍とはまったく異なる、近代的装備の軍隊のエースこそ、合成集団軍なのである。「精簡整編」をスローガンに進められた軍制改革の結果、中国軍の兵員総数は八〇年代の四百二十万人から、現在は三百万人体制ヘー段とスリム化した。中国軍は常時臨戦態勢の軍隊から、有事に即応性の高い、機動力のある近代的な軍隊へと変貌をとげたのである。中国軍が以前に比べてより進攻型の性格を強く感じさせるのは、このためだ。陸上戦略の転換によって、海洋戦略もまた画期的な改変を見た。
沿海部の都市や軍事施設の警備を中心とする従来の沿岸防衛から、現在は領海の防衛を中心とする近海防衛に重点が移ったのだ。そのための中国海軍近代化の象徴として、航空母艦の保有・建造問題が浮上している。中国外交当局は外国との空母の共同建造や外国からの購入を明確に否定しているが、中国中央軍事委員会が空母二隻を十ヵ年計画で建造する決定をしたとの報道もある。このような海上戦略の転換によって、海洋権益の確保や海上輸送ルートの安全保障を図るためにも、将来、空母保有の必要性が高まることも予想されるのだが、近隣諸国が懸念すべきことは、それよりもむしろ、「シーレーンの航行妨害や台湾の海上封鎖などに威力を発揮するロシア製のキロ級潜水艦の購入や、旧ロメオ級を改良した宋級潜水艦の建造など、潜水艦の戦力増強の動きであろう」(阿部純一「海洋をめざす中国の軍事戦略」『国際問題』九六年十月号)と専門家は見ている。
2015年5月1日金曜日
安全を重視する外貨準備
返す当てのない政府の借金が膨らむなかで、家計や企業が消費や投資を増やすだろうか。米国をはじめ世界各国はリーマンーショック以降の景気対策で大量の財政支出に踏み切ったが、財政赤字からの出口を模索する段階に入りつつある。当面の景気とのバランスは困難な課題だが、財政の立て直しは各国共通の目標になりつつある。一〇年六月、カナダで開いたG20サミットは首脳宣言で、先進国について一三年までに毎年の財政赤字を半減し、一六年までに政府債務残高のGDP比を安定ないし減少させることをうたった。日本にはそんな目標の達成は無理なので、直前に菅内閣が打ち出した財政運営戦略を「歓迎」するとして、例外扱いとされた。
当面の成長を重視する米国はその目標に反対だったが、欧州が強く求めた。その背景には、グローバルな投資資金が政府債務の信認危機に警鐘を鳴らしていることがある。国債が暴落したギリシヤはその典型だ。事態は、日本にとっても他人事ではない。にもかかわらず、日本が馬耳東風で来られたのは、日本の国債市場の特殊事情が作用している。それは、国内投資家による国債の保有比率が実に九五%にのぼるということである。日本は経常黒字国なので、国内の資金だけで国債が消化できてしまうのである。物価が継続的に下がるデフレの下では、多少なりとも金利の入ってくる国債は、相対的に有利な投資対象となる。企業や家計の資金需要が乏しいなか、銀行や生保、年金などのマネーが国債に向かい、巨額の財政赤字は国内だけで賄われてしまうという寸法だ。
このメカニズムこそが、失われた二十年で経済の決定的な破局が防がれたつっかい棒だったのである。その一方で、国債を元手に行われた政府の仕事は、極めて不採算なものが多く、経済全体の競争力を落としてしまった。マネーは国債に吸い込まれ、非効率な政府部門ばかりが肥大化していく。日本が「新たな失われた十年」に陥らないためには、マネーが国債という火消し壷に陥り、政府が膨張する悪循環を止める必要がある。デフレをストップさせ、成長の見取り図を描くことを、財政立て直しと同時に進めないといけない。
二〇年の段階では高齢化が一段と進み、肝心の国内貯蓄が底を尽き、国債の消化も覚束なくなっているに違いない。次の十年も無責任な行動を繰り返したら、我々は次の世代に対し大きな罪を犯すことになる。貯蓄を食いつぶし、経常収支が赤字に転落した後にやって来る円安は始末に負えない。政治指導者と有権者が事実を直視し、日本の生産性を高める努力を続けられるかどうか。市場によってそのことが真正面から問われる日は近い。
当面の成長を重視する米国はその目標に反対だったが、欧州が強く求めた。その背景には、グローバルな投資資金が政府債務の信認危機に警鐘を鳴らしていることがある。国債が暴落したギリシヤはその典型だ。事態は、日本にとっても他人事ではない。にもかかわらず、日本が馬耳東風で来られたのは、日本の国債市場の特殊事情が作用している。それは、国内投資家による国債の保有比率が実に九五%にのぼるということである。日本は経常黒字国なので、国内の資金だけで国債が消化できてしまうのである。物価が継続的に下がるデフレの下では、多少なりとも金利の入ってくる国債は、相対的に有利な投資対象となる。企業や家計の資金需要が乏しいなか、銀行や生保、年金などのマネーが国債に向かい、巨額の財政赤字は国内だけで賄われてしまうという寸法だ。
このメカニズムこそが、失われた二十年で経済の決定的な破局が防がれたつっかい棒だったのである。その一方で、国債を元手に行われた政府の仕事は、極めて不採算なものが多く、経済全体の競争力を落としてしまった。マネーは国債に吸い込まれ、非効率な政府部門ばかりが肥大化していく。日本が「新たな失われた十年」に陥らないためには、マネーが国債という火消し壷に陥り、政府が膨張する悪循環を止める必要がある。デフレをストップさせ、成長の見取り図を描くことを、財政立て直しと同時に進めないといけない。
二〇年の段階では高齢化が一段と進み、肝心の国内貯蓄が底を尽き、国債の消化も覚束なくなっているに違いない。次の十年も無責任な行動を繰り返したら、我々は次の世代に対し大きな罪を犯すことになる。貯蓄を食いつぶし、経常収支が赤字に転落した後にやって来る円安は始末に負えない。政治指導者と有権者が事実を直視し、日本の生産性を高める努力を続けられるかどうか。市場によってそのことが真正面から問われる日は近い。
2015年4月1日水曜日
アメリカ流ではなく日本流の価値観
つまり、国民の多くは、自由より規制を求めている。規制緩和を国民か求めているというのは政治的錯覚であることか明らかになった以上、自由の方向に揺れた社会を規制による秩序ある社会に戻すべく大きく方向転換することか、国民の声に基づく正しい政治ではなかろうか。しかし、このように規制を強化しようとするのは、グローバリゼーションという名で推し進められているアメリカ流儀に対する大きな挑戦となる。資本に対して、世界一般より厳しい規制を加えるとなると、アメリカからの強い反発が予想される。よほどの決意をもって望まなければ、すぐ腰砕けになってしまうだろう。なんといっても、今の日本人はアメリカの顔色をうかがっているばかりだから。日本と日本国民を守るという堅固な信念かなければ、できる相談ではない。では、その信念はどこから来るのか?
和を尊び、秩序を重んじ、平等を志向し、社会のために、長期的視点に立ち、安定に、金ではなくて徳を重んじることを、日本人と日本社会の基本として維持し続げることだ。この根本的な精神に基づいた制度、システム、やり方を追求することを、新しい「日本主義」として、わたしは提案したい。日本の価値観に基づき日本的な生き方を実現することを大きく掲げることが、わたしたちにとって、もっとも幸せなことではなかろうか。このような威勢のよいことを言うと、アメリカの影響を強く受けつつある日本にとって、あまりに非現実的なことのように聞こえるかもしれないか、アメリカの自由優先の考え方に断固抵抗する勇ましい姿も見られるようになってきている。
アメリカ型のスーパーのような大きな店の進出か、街中の小売店をつぶしてきたことは以前から大きな問題となっていた。アメリカからの圧力により一貫して大型店舗の出店に関する規制が緩和された結果、地方の中心街では、多くの店が廃業を余儀なくされ、シャツターが降りる沈黙の街へ変わり果ててしまった。さすかに地方も国も、こういう状況を放置できないとして、ついに腰を上げた。大型店は現在では土地か安い郊外に進出しており、ここに客を奪われるのか中心街の疲弊の原因であるとして、一万平方メートル以上の大型店の郊外立地を原則禁止、併せて自治体か大型店の立地を審査調整し拒否できる権限を与えることにしたのだ。
このような規制強化に対して、既存の流通大手や、小さな政府を推進し規制緩和を声高に叫ぶ人たちの間では激しい反対か沸き起こった。しかし、規制緩和を求める強い流れに抗して、政府自民党は決意を固め、改正案を国会で通し、二〇〇七年一一月より地域におげる大型店の規制強化か実行されはじめたのである。これは、政府と地方か、資本の自由な活動を放任しておけば国民のためにならないので、貸金業の場合と同様、規制を強化しなければならない、と大決断したことを意味する。日本の大手流通業はもとよりアメリカの強い反発かあることを承知のうえで、政府と地方は、「自由より秩序」、「競争より平等」を重んじる方向に舵を切ったのである。
明らかに、アメリカ流ではなく日本流の価値観に基づく行動だ。日本も決意を固めれば、新日本主義を世界のなかで実現することかできるのだ。さらに、アメリカ発金融危機は、「日本主義」にとっては大きな追い風となっている。今回の危機か起きたのは、アメリカでも規制か甘かったからだなどとの批判か多く、自由至上主義の国アメリカにおいても規制の再評価か進んでいる。オバマ大統領も就任演説のなかで、「今回の危機は市場に対する監視の目かなければ、市場は制御不能に陥ることを想起させる」と発言している。アメリカは自らがまいた種で世界を混乱に陥れたことにより、自信を失っている。日本的な考え方を世界に認知させるよいチャンスだ。堂々と日本主義を世界に発信すれば、その意義を認めさせることに成功するだろう。
和を尊び、秩序を重んじ、平等を志向し、社会のために、長期的視点に立ち、安定に、金ではなくて徳を重んじることを、日本人と日本社会の基本として維持し続げることだ。この根本的な精神に基づいた制度、システム、やり方を追求することを、新しい「日本主義」として、わたしは提案したい。日本の価値観に基づき日本的な生き方を実現することを大きく掲げることが、わたしたちにとって、もっとも幸せなことではなかろうか。このような威勢のよいことを言うと、アメリカの影響を強く受けつつある日本にとって、あまりに非現実的なことのように聞こえるかもしれないか、アメリカの自由優先の考え方に断固抵抗する勇ましい姿も見られるようになってきている。
アメリカ型のスーパーのような大きな店の進出か、街中の小売店をつぶしてきたことは以前から大きな問題となっていた。アメリカからの圧力により一貫して大型店舗の出店に関する規制が緩和された結果、地方の中心街では、多くの店が廃業を余儀なくされ、シャツターが降りる沈黙の街へ変わり果ててしまった。さすかに地方も国も、こういう状況を放置できないとして、ついに腰を上げた。大型店は現在では土地か安い郊外に進出しており、ここに客を奪われるのか中心街の疲弊の原因であるとして、一万平方メートル以上の大型店の郊外立地を原則禁止、併せて自治体か大型店の立地を審査調整し拒否できる権限を与えることにしたのだ。
このような規制強化に対して、既存の流通大手や、小さな政府を推進し規制緩和を声高に叫ぶ人たちの間では激しい反対か沸き起こった。しかし、規制緩和を求める強い流れに抗して、政府自民党は決意を固め、改正案を国会で通し、二〇〇七年一一月より地域におげる大型店の規制強化か実行されはじめたのである。これは、政府と地方か、資本の自由な活動を放任しておけば国民のためにならないので、貸金業の場合と同様、規制を強化しなければならない、と大決断したことを意味する。日本の大手流通業はもとよりアメリカの強い反発かあることを承知のうえで、政府と地方は、「自由より秩序」、「競争より平等」を重んじる方向に舵を切ったのである。
明らかに、アメリカ流ではなく日本流の価値観に基づく行動だ。日本も決意を固めれば、新日本主義を世界のなかで実現することかできるのだ。さらに、アメリカ発金融危機は、「日本主義」にとっては大きな追い風となっている。今回の危機か起きたのは、アメリカでも規制か甘かったからだなどとの批判か多く、自由至上主義の国アメリカにおいても規制の再評価か進んでいる。オバマ大統領も就任演説のなかで、「今回の危機は市場に対する監視の目かなければ、市場は制御不能に陥ることを想起させる」と発言している。アメリカは自らがまいた種で世界を混乱に陥れたことにより、自信を失っている。日本的な考え方を世界に認知させるよいチャンスだ。堂々と日本主義を世界に発信すれば、その意義を認めさせることに成功するだろう。
2015年3月2日月曜日
変革型リーダーの育成
国内から配置したこのキーマンは現地人幹部との信頼関係の醸成はもちろんのこと、当社の持つノウハウを個別の地域に適合させ見事に事業を発展させました。配置し、地位を渡した結果、地位が人を育てたと言いますか、育つたというのが私の率直な感想です。こうして人が育っていくという当社の実態を見たときに、変革型リーダー育成のための人事部門の最大の役割は、人材の探索に尽きると考えております。単にラインの評価の良い人を集結せよと言っているのではありません。事業か直面する課題、経営トップが次に打って出たいと考えている分野、誰もやったことがない仕事、分野、市場へのチャレンジ等々を担える人材を経営トップが求めた時点でタイムリーに提示できる能力を求めています。
そのためには、例えば人事部門は次のような目を持つことが重要です。①現在の事業の中核を担っている、評価の良い人材をさらに異分野で生かすとすればどのような分野に期待ができるのか、②現時点の評価はともかく、機会があれば大きく化ける人材は誰か、③ほかの人と違う感性やスペシャリティを持っている人は、④人間関係・組み合わせなど、ちょっとしたことにつまずいて十分、能力を発揮できていない人、埋もれている人が組織には少なからずいるという視点などです。
しかし、OJTだけで、あとは個人の資質と努力に頼るだけでは会社が必要とする十分な素養を個々人は得ることができませんし、事業の発展スピードにも対応できません。OJTだけでは得られない最低限の知識や、経営理念をより深く理解し、自分のモノとするための経営層とのディスカッションの機会や先達の知恵、リーダーとしての身の処し方などサラリーマンでは普通は接しえない人材との接点を会社は準備する必要かあると思っています。そのために、主に日本人を対象にした経営幹部塾、外国人対象のビジネススクールを2004年秋にスタートさせました。経営幹部塾には大きく2つの目的があります。1つ目は受講生の経営者としての資質・ポテンシャルを経営トップが見極め、評価する機会とすること。2つ目はギリギリの場面での決断力・判断力などトップ経営者の資質を醸成することです。
変革型リーダーの育成とは、知識や先達に学ぶばかりでなく、修羅場に追い込んで、自らを律し、さらに言えばそれを苦しみと言わずに変革にこそ喜びを見いだす人材を育成していくことであると考えています。また、スペシャリティを身につけさせることが重要だと感じております。この道だけは誰にも負けない、というものを習得させたいと考えています。スベシャリティは何でもいい。語学でも経理でも、コンプレッサー技術でも、何か1つのことを極めたからこそ見えるものがあります。若い人にはそういうことを経験したうえで人格形成をしていってほしいと思います。修羅場の経験と、何か1つのことを極めることを前提としたうえで次の2点が変革型リーダー育成の今後の課題と考えています。
1点目の課題は、若いうちから豊富な経験をさせ、育成していくことです。より若いうちから鍛え、計画的な修羅場経験を通じて経営の視点を醸成することが重要であり、優秀な若手の質的向上を意図的に仕掛ける育成策が必要だと感じています。2点目は多彩な、異質なメンバーをチームとして束ね、1つの方向に導くリーダーシップ(ダイバーシティーマネジメント)の醸成です。グループ経営理念、人を基軸に置いた経営の理解・徹底と、それらに基づくリーダーシップカ、対話力、ダイバーシティーマネジメントを実践できる人材を育成していくことか求められています。
そのためには、例えば人事部門は次のような目を持つことが重要です。①現在の事業の中核を担っている、評価の良い人材をさらに異分野で生かすとすればどのような分野に期待ができるのか、②現時点の評価はともかく、機会があれば大きく化ける人材は誰か、③ほかの人と違う感性やスペシャリティを持っている人は、④人間関係・組み合わせなど、ちょっとしたことにつまずいて十分、能力を発揮できていない人、埋もれている人が組織には少なからずいるという視点などです。
しかし、OJTだけで、あとは個人の資質と努力に頼るだけでは会社が必要とする十分な素養を個々人は得ることができませんし、事業の発展スピードにも対応できません。OJTだけでは得られない最低限の知識や、経営理念をより深く理解し、自分のモノとするための経営層とのディスカッションの機会や先達の知恵、リーダーとしての身の処し方などサラリーマンでは普通は接しえない人材との接点を会社は準備する必要かあると思っています。そのために、主に日本人を対象にした経営幹部塾、外国人対象のビジネススクールを2004年秋にスタートさせました。経営幹部塾には大きく2つの目的があります。1つ目は受講生の経営者としての資質・ポテンシャルを経営トップが見極め、評価する機会とすること。2つ目はギリギリの場面での決断力・判断力などトップ経営者の資質を醸成することです。
変革型リーダーの育成とは、知識や先達に学ぶばかりでなく、修羅場に追い込んで、自らを律し、さらに言えばそれを苦しみと言わずに変革にこそ喜びを見いだす人材を育成していくことであると考えています。また、スペシャリティを身につけさせることが重要だと感じております。この道だけは誰にも負けない、というものを習得させたいと考えています。スベシャリティは何でもいい。語学でも経理でも、コンプレッサー技術でも、何か1つのことを極めたからこそ見えるものがあります。若い人にはそういうことを経験したうえで人格形成をしていってほしいと思います。修羅場の経験と、何か1つのことを極めることを前提としたうえで次の2点が変革型リーダー育成の今後の課題と考えています。
1点目の課題は、若いうちから豊富な経験をさせ、育成していくことです。より若いうちから鍛え、計画的な修羅場経験を通じて経営の視点を醸成することが重要であり、優秀な若手の質的向上を意図的に仕掛ける育成策が必要だと感じています。2点目は多彩な、異質なメンバーをチームとして束ね、1つの方向に導くリーダーシップ(ダイバーシティーマネジメント)の醸成です。グループ経営理念、人を基軸に置いた経営の理解・徹底と、それらに基づくリーダーシップカ、対話力、ダイバーシティーマネジメントを実践できる人材を育成していくことか求められています。
2015年2月2日月曜日
コソボ介入が露呈したもの
米国の優位は、何よりも軍備の面で際立っている。長・中・短距離の核ミサイルはもちろんのこと、通常兵器においても、その威力と精度において隔絶している。
湾岸戦争でも見られたように、レーダーによる誘導技術に支えられた「ピンポイント」爆撃能力は、遠くない将来、核兵器を無用化してしまうほどのものになる可能性を示している。
保有する装備の強大さに加え、良し悪しの評価は別として、いざとなれば実力を行使する意思を発揮し得るという点でも、米国は傑出している。
今日の世界において、国際社会のならず者を取り締まる警察力を発揮しうるのは米国だけである。本来なら設立時の理想に沿って警察機能を発揮すべき国連に実力と意思結集力がないだけに、世界秩序に対する米国の統率力は、事実上あらゆる国が認めざるを得ない。
この事実を如実に示しだのが、九八年から九九年にかけてのコソボ紛争であった。米国にとっては、国益上さしたる実利をともなわず、むしろ「国連安保理事会の決議にもとづかない国際法違反の独善的軍事力の行使」という汚名を着ることになった介入である。
「ソ連・東欧勢に対抗する同盟機構」として始まったNATOが、仮想敵を失ったあと、「国際正義(人道)のための介入」という新たな使命を追求することになった今日、白昼公然たる非人道行為に対し無力であるわけにいかないという、NATOの盟主としての立場ゆえの介入であった。
換言すれば、米国は「軍事カナンバーワン」として自縄自縛にあったということになろう。自国領土の防衛に限れば「無用の長物」ともいえる特異性を持つ米国の軍事力が、その特異性をそのままに発揮したといえる。
コソボ紛争渦中のベオグラード中国大使館爆撃では、情報面のお粗末さを見せつけた米国だが、世界的規模での軍事力展開において、何よりもものをいうのは人工衛星を利用した米国の情報力である。
古来、戦争を制するのは情報力だが、軍事技術が極度に高度化していく中で、米国の情報収集・分折・伝達に関するハード、ソフト両面の機能は、隔絶したものがある。
特に、「世界の二地占一(具体的には朝鮮半島とペルシャ湾)で同時に発生した地域紛争に対処する兵力展開能力」を前提として組み立てられた米国の世界戦略とこれを支える情報機能に比肩しうるような能力は、当分の間世界のどの国にとっても考えられないであろう。
湾岸戦争でも見られたように、レーダーによる誘導技術に支えられた「ピンポイント」爆撃能力は、遠くない将来、核兵器を無用化してしまうほどのものになる可能性を示している。
保有する装備の強大さに加え、良し悪しの評価は別として、いざとなれば実力を行使する意思を発揮し得るという点でも、米国は傑出している。
今日の世界において、国際社会のならず者を取り締まる警察力を発揮しうるのは米国だけである。本来なら設立時の理想に沿って警察機能を発揮すべき国連に実力と意思結集力がないだけに、世界秩序に対する米国の統率力は、事実上あらゆる国が認めざるを得ない。
この事実を如実に示しだのが、九八年から九九年にかけてのコソボ紛争であった。米国にとっては、国益上さしたる実利をともなわず、むしろ「国連安保理事会の決議にもとづかない国際法違反の独善的軍事力の行使」という汚名を着ることになった介入である。
「ソ連・東欧勢に対抗する同盟機構」として始まったNATOが、仮想敵を失ったあと、「国際正義(人道)のための介入」という新たな使命を追求することになった今日、白昼公然たる非人道行為に対し無力であるわけにいかないという、NATOの盟主としての立場ゆえの介入であった。
換言すれば、米国は「軍事カナンバーワン」として自縄自縛にあったということになろう。自国領土の防衛に限れば「無用の長物」ともいえる特異性を持つ米国の軍事力が、その特異性をそのままに発揮したといえる。
コソボ紛争渦中のベオグラード中国大使館爆撃では、情報面のお粗末さを見せつけた米国だが、世界的規模での軍事力展開において、何よりもものをいうのは人工衛星を利用した米国の情報力である。
古来、戦争を制するのは情報力だが、軍事技術が極度に高度化していく中で、米国の情報収集・分折・伝達に関するハード、ソフト両面の機能は、隔絶したものがある。
特に、「世界の二地占一(具体的には朝鮮半島とペルシャ湾)で同時に発生した地域紛争に対処する兵力展開能力」を前提として組み立てられた米国の世界戦略とこれを支える情報機能に比肩しうるような能力は、当分の間世界のどの国にとっても考えられないであろう。
2015年1月5日月曜日
電力自由化からスマートグリッドヘ
そのような前史があったところに、一九九〇年代の「モバイル革命」と「インターネット革命」が起きた。水平分業の各レイヤーで、多くの新規プレーヤーが参加して、一大競争が始まった。携帯電話会社同士の競争が始まり、インターネットのプロバイダ(接続業者)同士の闘いが行われ、インターネット上で各種のサービスを提供するアプリケーションサービスプロバイダ同士も競い合った。多くの分野でさまざまなイノベーションが一気に開花したのが、一九九〇年代以降の話だ。エネルギー産業も通信産業とよく似たところがあって、一九九〇年代半ば以降、米国やヨーロッパで電力の自由化が進展したことは前にも述べた。これはいわゆる「発送電の分離」で、それまでの垂直統合の一社独占構造が崩れ、水平分業化が進展した。発電と送電網の分離は川上側の変化だから、通信で言う長距離とローカルの分離に近い。
この段階では、ユーザーにもわかるような変化が起きたわけではない。これも通信と同じだ。電力の自由化で電気料金が若干安くなった程度の話にすぎなかった。ただ、ここで水平分業化を進めておいたことが、その後のイノベーション爆発の呼び水となっていく可能性が高いのである。電力市場のイノベーションの本番はこれからだ。電力の世界でインターネット革命に相当するのは、「スマートグリッド(次世代送電網)」「省エネ低炭素型の分散型電力利用・発蓄電技術」のイノベーションだ。エンドユーザーに近い川下側の革命がこれから起きる可能性が高まっているのである。通信ネットワークで電力の供給側とエンドユーザー側、あるいは供給者問、ユーザー間を結び、IT技術と価格メカニズムも活用しながら電力需給の最適かつ絶妙なバランスを実現する。
再生可能子不ルギーを有効に使ううえでも欠かせない技術だ。そしてピークカットによって大型発電所への依存度も下げていく。このスマートグリッド周辺で、いままさに、さまざまなイノベーションが起こり始めているのだ。残念ながら、日本はいまだに発送電分離を認めておらず、地域独占の垂直統合型を維持している。欧米の動きと比べると、周回遅れと言ってもいいくらいのレベルなのだが、東日本大震災と福島第一原発事故を機に、パンドラの箱が開きかかっている。これを思い切り開放すれば、一気に遅れを挽回できる。そして通信でそうであったように、このイノベーションは、電力周りのビジネスを一気にグローバル化させる。省エネと人口減少で売り上げ低下圧力に悩む電力会社自身にとっても、また周辺の機器メーカーやITサービスにとっても千載一遇のチャンスなのだ。
にだが、いまのところ各電力会社の動きは鈍い。「スマートグリッドというけれど、それはいまだに各地で停電が頻発する米国だから必要なのであって、電力の安定供給が実現できている日本は現状でも十分『スマート』だ」というのが彼らの言い分だ。たしかに、分散的に発電して、分散的に電力を使うスマートグリッドの仕組みには、現状でさまざまな問題点があることは私も知っている。だが、そうした技術的な問題は、時間がたてば克服できるのだ。それはインターネットの歴史が証明している。
インターネットが登場したばかりの頃、NTTなどの「伝統的な」通信事業者の技術者の多くは、「インターネットなんて、接続を保証しないベストエフォート型のサービスだろう。安定供給が第一の我々が直接やるような仕事ではない」と言っていた。交換機を頂点とした中央集権型の垂直統合モデルに慣れた彼らにとって、中心を持だないネットワーク型のサービスはどこか信用できなかったのだろう。たしかに最初の頃は、インターネット回線はよく帽斡を起こしていて、つながらないこともあった。だが、中央集権システムにも弱点がある。中央が落ちたら全滅なのだ。しかしインターネットなら、回線のどこかがダウンしてもそこを迂回していけるので、いきなり全滅することはない。
この段階では、ユーザーにもわかるような変化が起きたわけではない。これも通信と同じだ。電力の自由化で電気料金が若干安くなった程度の話にすぎなかった。ただ、ここで水平分業化を進めておいたことが、その後のイノベーション爆発の呼び水となっていく可能性が高いのである。電力市場のイノベーションの本番はこれからだ。電力の世界でインターネット革命に相当するのは、「スマートグリッド(次世代送電網)」「省エネ低炭素型の分散型電力利用・発蓄電技術」のイノベーションだ。エンドユーザーに近い川下側の革命がこれから起きる可能性が高まっているのである。通信ネットワークで電力の供給側とエンドユーザー側、あるいは供給者問、ユーザー間を結び、IT技術と価格メカニズムも活用しながら電力需給の最適かつ絶妙なバランスを実現する。
再生可能子不ルギーを有効に使ううえでも欠かせない技術だ。そしてピークカットによって大型発電所への依存度も下げていく。このスマートグリッド周辺で、いままさに、さまざまなイノベーションが起こり始めているのだ。残念ながら、日本はいまだに発送電分離を認めておらず、地域独占の垂直統合型を維持している。欧米の動きと比べると、周回遅れと言ってもいいくらいのレベルなのだが、東日本大震災と福島第一原発事故を機に、パンドラの箱が開きかかっている。これを思い切り開放すれば、一気に遅れを挽回できる。そして通信でそうであったように、このイノベーションは、電力周りのビジネスを一気にグローバル化させる。省エネと人口減少で売り上げ低下圧力に悩む電力会社自身にとっても、また周辺の機器メーカーやITサービスにとっても千載一遇のチャンスなのだ。
にだが、いまのところ各電力会社の動きは鈍い。「スマートグリッドというけれど、それはいまだに各地で停電が頻発する米国だから必要なのであって、電力の安定供給が実現できている日本は現状でも十分『スマート』だ」というのが彼らの言い分だ。たしかに、分散的に発電して、分散的に電力を使うスマートグリッドの仕組みには、現状でさまざまな問題点があることは私も知っている。だが、そうした技術的な問題は、時間がたてば克服できるのだ。それはインターネットの歴史が証明している。
インターネットが登場したばかりの頃、NTTなどの「伝統的な」通信事業者の技術者の多くは、「インターネットなんて、接続を保証しないベストエフォート型のサービスだろう。安定供給が第一の我々が直接やるような仕事ではない」と言っていた。交換機を頂点とした中央集権型の垂直統合モデルに慣れた彼らにとって、中心を持だないネットワーク型のサービスはどこか信用できなかったのだろう。たしかに最初の頃は、インターネット回線はよく帽斡を起こしていて、つながらないこともあった。だが、中央集権システムにも弱点がある。中央が落ちたら全滅なのだ。しかしインターネットなら、回線のどこかがダウンしてもそこを迂回していけるので、いきなり全滅することはない。
2014年12月1日月曜日
チェック・アンド・バランスが機能している
一般にアメリカでは、企業に高額の賠償金が科されることによって、消費者に確実に安全がもたらされるといった資料などもあります。これをどう評価するかは見方によりますが、少なくともそういうニュースはほとんど日本には紹介されません。
また、ごく素朴な疑問として、「一般人の出した判決など到底信用できない」という意見がアメリカにはないのか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、陪審制でも「判決」を下すのは裁判官で、陪審員は「事実がどうであったか」ということを判断するだけなのです。
だから、その決定は「評決」と呼ばれます。陪審員の評決かおり、その後に、評決を元に裁判官の「判決」が出るという関係です。 すなわち、陪審員が決めた事実に、裁判官が法律を当てはめて、しかるべき結論を出す、というのが基本的な役割分担になっていて、陪審員の暴走を食い止めるのが裁判官の仕事でもあるのです。
これは一種のチェックーアンドーバランスの考え方ですが、今の日本の制度では「裁判官は絶対に暴走しない」という前提、田心い込みしかありません。そこで民事裁判では、先のハンバーガー事件のケースにもあったように、陪審評決が出ても裁判官の方で「これは高すぎるから半額にする」とか、「法律違反があった」という理由で陪審員とは違う判決を出すこともできるのです。
つまり、アメリカの民事裁判の場合には、どうみても陪審員が間違っていると判断したら、裁判官はそれを覆したり修正したりできるわけで、そこに裁判官の重い使命もあって、より妥当な結論を導く仕組みになっているのです。
また、ごく素朴な疑問として、「一般人の出した判決など到底信用できない」という意見がアメリカにはないのか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、陪審制でも「判決」を下すのは裁判官で、陪審員は「事実がどうであったか」ということを判断するだけなのです。
だから、その決定は「評決」と呼ばれます。陪審員の評決かおり、その後に、評決を元に裁判官の「判決」が出るという関係です。 すなわち、陪審員が決めた事実に、裁判官が法律を当てはめて、しかるべき結論を出す、というのが基本的な役割分担になっていて、陪審員の暴走を食い止めるのが裁判官の仕事でもあるのです。
これは一種のチェックーアンドーバランスの考え方ですが、今の日本の制度では「裁判官は絶対に暴走しない」という前提、田心い込みしかありません。そこで民事裁判では、先のハンバーガー事件のケースにもあったように、陪審評決が出ても裁判官の方で「これは高すぎるから半額にする」とか、「法律違反があった」という理由で陪審員とは違う判決を出すこともできるのです。
つまり、アメリカの民事裁判の場合には、どうみても陪審員が間違っていると判断したら、裁判官はそれを覆したり修正したりできるわけで、そこに裁判官の重い使命もあって、より妥当な結論を導く仕組みになっているのです。
2014年11月1日土曜日
北朝鮮の核・ミサイル開発疑惑
朝鮮半島では北朝鮮の核・ミサイル開発疑惑がなお完全に払拭できないものの、南北朝鮮はすでに非核化について合意。二〇〇〇年六月に平壌で分断後初めての南北首脳会談が開かれることが決まり、朝鮮半島の安定化に少なからぬ寄与が期待される段階を迎えた。
日米韓の協力体制によって、北朝鮮は軽水炉を提供する朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が動き出して、事実上の多国間の地域安保対話も始まっている。
北朝鮮はさらに日米両国との関係改善によって、新しい経済関係構築のきっかけを掴もうとしており、日朝間では九二年十一月以来途絶えていた国交正常化交渉の本会談(大使級)が、二〇〇〇年四月から七年二ヵ月ぶりに平壌で再開された。
また、米朝高官協議も順調に回を重ねており、二〇〇〇年中には相互に連絡事務所を設置する交渉がまとまりそうで、核疑惑をめぐって米国による対北朝鮮制裁が取りざたされた九四年当時のとげとげしい雰囲気は、もはやない。
一方、朝鮮半島問題と並ぶ東アジアのもう一つの大きな紛争要因である中台関係は、二〇〇〇年三月の台湾総統選を牽制するため、中国が「台湾白書」を発表して、その中で台湾統一のための武力行使の条件に、「無期限の交渉拒否」を追加したため、一時的に緊張が高まった。
しかし、九六年三月の総統選の前後に、台湾を威嚇する狙いで中国が行ったミサイル射撃の軍事演習に比べれば、緊迫感はそれはどなかった。中台間にはすでに九三年から、直接対話の道が開かれており、両岸の貿易、経済交流も拡大基調が続いていて、今後さらに直接対話を積み重ねていけば、中台関係は政治的な緊張緩和に向かう可能性を否定できない。
もちろん、楽観要因ばかりではない。北朝鮮は対米関係の改善に自らの体制の生き残りをかけているが、米国の巨大な軍事力を相変わらず敵視、米国が一つ対応を誤れば冒険主義に走らないとも限らない。
また、中国は米国との「戦略的パートナーシップ」の確立による協調を求めながらも、冷戦に一人勝ちして「世界一極支配体制」を固めつつある米国の覇権主義に警戒感を募らせ、軍事力の強化に余念がない。
しかし、全体として見れば、アジア太平洋地域の多国間協調の流れを押しとどめることはできまい。経済面では東アジアにアジア太平洋経済協力会議(APEC)、東南アジアには東南アジア諸国連合(ASEAN)、ASEAN自由貿易地域(AFTA)などの多国間協力のネットワークが築かれ、発展を続けている。
日米韓の協力体制によって、北朝鮮は軽水炉を提供する朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が動き出して、事実上の多国間の地域安保対話も始まっている。
北朝鮮はさらに日米両国との関係改善によって、新しい経済関係構築のきっかけを掴もうとしており、日朝間では九二年十一月以来途絶えていた国交正常化交渉の本会談(大使級)が、二〇〇〇年四月から七年二ヵ月ぶりに平壌で再開された。
また、米朝高官協議も順調に回を重ねており、二〇〇〇年中には相互に連絡事務所を設置する交渉がまとまりそうで、核疑惑をめぐって米国による対北朝鮮制裁が取りざたされた九四年当時のとげとげしい雰囲気は、もはやない。
一方、朝鮮半島問題と並ぶ東アジアのもう一つの大きな紛争要因である中台関係は、二〇〇〇年三月の台湾総統選を牽制するため、中国が「台湾白書」を発表して、その中で台湾統一のための武力行使の条件に、「無期限の交渉拒否」を追加したため、一時的に緊張が高まった。
しかし、九六年三月の総統選の前後に、台湾を威嚇する狙いで中国が行ったミサイル射撃の軍事演習に比べれば、緊迫感はそれはどなかった。中台間にはすでに九三年から、直接対話の道が開かれており、両岸の貿易、経済交流も拡大基調が続いていて、今後さらに直接対話を積み重ねていけば、中台関係は政治的な緊張緩和に向かう可能性を否定できない。
もちろん、楽観要因ばかりではない。北朝鮮は対米関係の改善に自らの体制の生き残りをかけているが、米国の巨大な軍事力を相変わらず敵視、米国が一つ対応を誤れば冒険主義に走らないとも限らない。
また、中国は米国との「戦略的パートナーシップ」の確立による協調を求めながらも、冷戦に一人勝ちして「世界一極支配体制」を固めつつある米国の覇権主義に警戒感を募らせ、軍事力の強化に余念がない。
しかし、全体として見れば、アジア太平洋地域の多国間協調の流れを押しとどめることはできまい。経済面では東アジアにアジア太平洋経済協力会議(APEC)、東南アジアには東南アジア諸国連合(ASEAN)、ASEAN自由貿易地域(AFTA)などの多国間協力のネットワークが築かれ、発展を続けている。
2014年10月1日水曜日
ソ連社会主義の恐怖
一九一七年、レーニンの指導のもとに、ロシア革命がおこり、世界ではじめて社会主義国家、ソビエト連邦が成立しました。ソ連は一五の共和国かみ構成され、世界の陸地面積の六分の一を占め、人口三億人という巨大国家でした。ソ連は、一九九一年崩壊することになるわけですが、それまで、七〇年間にわたって、世界の社会主義国の上に君臨していました。
ロシアで最初の社会主義国家か成立したとき、世界の心ある人々は、長い間の、社会主義の夢が実現したことをよろこび、資本主義に代わって、新しい人間的な社会に向かって、人類の歩みがはじまったように思ったのです。ところが、ソ連社会主義七〇年の歴史は、このような期待が空しい幻想にすぎなかったことを示し、社会主義に対する人々の信頼を無残に打ちこわしてしまいました。レオ十三世が「レールムーノヴァルム」で警告された通りになってしまったのです。
ソ連社会主義のもとでは、労働者階級の立場を代表する共産党がすべての国家権力を掌握し、人々の生活を完全に管理していました。共産党が指導して国全体についての経済計画がたてられ、社会主義建設のために、すべての人民が奉仕するということになっていました。しかし、市民の基本的権利は無視され、個人め自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまいました。とくに、狂気におちいった独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万人という無実の人々が処刑されたのです。
ソ連共産党の支配は、ソ連だけでなく、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアなどの東欧の社会主義諸国におよびました。これらの国々はいずれも、軍事、経済、政治、すべての面で、ソ連の支配下におかれていました。第二次世界大戦後四〇年間にわたって、ソ連の苛酷な支配のもとで、人間的尊厳は失われ、経済は麻庫し、社会は寸断され、自然は徹底的に破壊されてしまいました。
ソ連社会主義の恐怖について、私自身実際に経験する機会を何度かもったことがありますか、つぎのエピソードは私にとって忘れることができません。一九九二年の一月から二月にかけて、私は、ヨーロッパの国々を回って、地球温暖化に対して、各国がどのような政策をとっているのかを調査しました。
ロシアで最初の社会主義国家か成立したとき、世界の心ある人々は、長い間の、社会主義の夢が実現したことをよろこび、資本主義に代わって、新しい人間的な社会に向かって、人類の歩みがはじまったように思ったのです。ところが、ソ連社会主義七〇年の歴史は、このような期待が空しい幻想にすぎなかったことを示し、社会主義に対する人々の信頼を無残に打ちこわしてしまいました。レオ十三世が「レールムーノヴァルム」で警告された通りになってしまったのです。
ソ連社会主義のもとでは、労働者階級の立場を代表する共産党がすべての国家権力を掌握し、人々の生活を完全に管理していました。共産党が指導して国全体についての経済計画がたてられ、社会主義建設のために、すべての人民が奉仕するということになっていました。しかし、市民の基本的権利は無視され、個人め自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまいました。とくに、狂気におちいった独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万人という無実の人々が処刑されたのです。
ソ連共産党の支配は、ソ連だけでなく、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアなどの東欧の社会主義諸国におよびました。これらの国々はいずれも、軍事、経済、政治、すべての面で、ソ連の支配下におかれていました。第二次世界大戦後四〇年間にわたって、ソ連の苛酷な支配のもとで、人間的尊厳は失われ、経済は麻庫し、社会は寸断され、自然は徹底的に破壊されてしまいました。
ソ連社会主義の恐怖について、私自身実際に経験する機会を何度かもったことがありますか、つぎのエピソードは私にとって忘れることができません。一九九二年の一月から二月にかけて、私は、ヨーロッパの国々を回って、地球温暖化に対して、各国がどのような政策をとっているのかを調査しました。
2014年9月1日月曜日
高齢者の貯蓄熱の本当の理由
日本の高齢者は貯金に励むのか。アンケート調査などでは、「老後が不安だから」という答えが圧倒的に多い。だが、平均的に見て日本人ほど老後不安の少ない国民はいない。老後の年金はどこよりも多いし、健康保険はあまねく普及している。持ち家の比率も高いし、子供の教育もしっかりとやっている。
それなのに、七十歳以上の人々がなお貯金を増やしているのは、「老後不安」だけでは説明できない。百七歳と百八歳でお亡くなりになった双子の姉妹、きんさんぎんさんも、死の直前まで「テレビ出演料は老後に備えて貯金します」といい続けていた。「老後不安」は、一種の流行(社会主観)なのだ。
では、高齢者の貯蓄熱の本当の理由は何か。恐らくその最大の原因は、高齢者がお金を出して得られる楽しみと誇りが少ないことだろう。規格大量生産型の近代工業社会を確立するに当たって、日本は三つの特色を創り上げたことは前述した。①官僚主導=業界協調の産業経済体制、②終身雇用、集団主義の日本式経営、そして③職場単属の職縁社会である。日本の高齢者のほとんどは、こうした世の中にどっぷりと浸ってその生涯を送ってきた。一つの職場に終身帰属し、職場と職業の縁で結ばれた人間関係に埋没し、情報も評判も楽しみもそのなかで得た。
このため、定年を迎えて退職してみると、人間関係は途絶え、情報も楽しみもなくなってしまう。ゴルフに興じようにも誘う者も誘ってくれる者もいない。カラオケに行くにも酒を飲むにも、ともにする相手がいない。そのうえ、この国の娯楽観光業も職縁社会に適応して、職場職業で繋がる社用客用にできている。
たとえば、退職後の夫妻が温泉旅館に行ったとしよう。玄関には「御夫妻様歓迎」とあり、しかるべき部屋に通される。だが、夕食に出て来る料理は、下の宴会場と同じ物、大抵は黒ずんだ鮪の刺身と固い海老が出て来る。職縁団体客がワイワイ騒ぎながら時間をかけて喰うのに適した量と見場のある料理だ。
それなのに、七十歳以上の人々がなお貯金を増やしているのは、「老後不安」だけでは説明できない。百七歳と百八歳でお亡くなりになった双子の姉妹、きんさんぎんさんも、死の直前まで「テレビ出演料は老後に備えて貯金します」といい続けていた。「老後不安」は、一種の流行(社会主観)なのだ。
では、高齢者の貯蓄熱の本当の理由は何か。恐らくその最大の原因は、高齢者がお金を出して得られる楽しみと誇りが少ないことだろう。規格大量生産型の近代工業社会を確立するに当たって、日本は三つの特色を創り上げたことは前述した。①官僚主導=業界協調の産業経済体制、②終身雇用、集団主義の日本式経営、そして③職場単属の職縁社会である。日本の高齢者のほとんどは、こうした世の中にどっぷりと浸ってその生涯を送ってきた。一つの職場に終身帰属し、職場と職業の縁で結ばれた人間関係に埋没し、情報も評判も楽しみもそのなかで得た。
このため、定年を迎えて退職してみると、人間関係は途絶え、情報も楽しみもなくなってしまう。ゴルフに興じようにも誘う者も誘ってくれる者もいない。カラオケに行くにも酒を飲むにも、ともにする相手がいない。そのうえ、この国の娯楽観光業も職縁社会に適応して、職場職業で繋がる社用客用にできている。
たとえば、退職後の夫妻が温泉旅館に行ったとしよう。玄関には「御夫妻様歓迎」とあり、しかるべき部屋に通される。だが、夕食に出て来る料理は、下の宴会場と同じ物、大抵は黒ずんだ鮪の刺身と固い海老が出て来る。職縁団体客がワイワイ騒ぎながら時間をかけて喰うのに適した量と見場のある料理だ。
登録:
投稿 (Atom)