橋本さんは、とてもいい指摘をされています。「人は悲しみや苦しみのどん底にあっても、ほんとうにそれと向きあうことができるならば、必ず立ちあがることができると、私は信じています。そのとき、私たちは引きあげようとしたり、押しあげようとしたりせず、でも、そこから逃げることなく『そこにいる』ことが大切なのでは・・・と思っていますが、いかがでしょうか」
まさに、私たちがやっている心理療法の根本は、「そこにいる」ということで、それ以外のなにものでもないと言ってもいいくらいです。
橋本さんご自身、赤ちゃんのことを心配されているお母さんにどんな言葉をかけていいかわからず、最初は一緒にいさせていただくというところからはじめられたとおっしゃっておられましたが、じつは心理療法にとって、そこがもっとも大事なところだったわけです。
ただ、言葉でわかっていても、あるいは、体は一緒にいても、心が逃げてしまっている場合が多く、私自身、このごろは、体も心もそこにいるということばかりを訓練しているのではないかという気が自分でもします。なかなかそれができず、やはりまだ修行が足りないと自省の念に駆られます。
それというのも、ほんとうに深い苦しみ、悲しみを抱えている人と、心も体も一緒にいるということは、こちらにとっても苦しいことだからです。
しかし、逆にクライエントの側からしたら、ほんとうにつらいとき、悲しいときには、よけいな慰めなど言ってもらう必要はなく、一緒にいてもらうだけでいい。
ところが、治療者のほうがじっとしていられなくなって、ついよけいな慰めの言葉をかけたりしてしまうのです。これは、一種のごまかしにすぎません。
2012年7月19日木曜日
2012年6月20日水曜日
父性原理での対応
ただ、日本のカウンセラーには、ほんとうの意味での受容をせず、受容の真似ばかりして失敗している人がかなりいます。来談者が、「ぼくは学校へ行っていません」と言ったとします。
そのときに、カウンセラーが表面では「ああ、そうか、そうか」とうなずきながら、心の中では、「困ったもんだな」と思っているとしたら、これはほんとうの意味での受容ではなく、受容の真似にすぎません。
たとえば、高校生くらいのクライエントが、「ぼくは好きなことをして暮らすんや。お父さんからはお金さえもらえればいい」などと言った場合、そういう相手の人生観を本気で受けいれることができるでしょうか。
表面的にはわかったように振る舞いながら、心の中では、「なにをアホなことを言っているか」と思っているとしたら、これもニセものです。
本気で相手を理解し、そういう人生観に共感できるなら、それはそれでいいのですが、私なら、一概には言えませんが、こういうときは次のように言うかもしれません。
「あなたが一生、お父さんのお金をもらって生きるつもりなら、もうここに来る必要はありません。私はそんな人のためにこの仕事をやっているわけじゃない。いますぐ帰ってください」
これは、いわば父性原理での対応です。父性原理には「切断」の機能があります。すると、クライエントは一つの刺激を受けてそれまでとは違ったことを考え、また新たな展開がはじまります。
そのときに、カウンセラーが表面では「ああ、そうか、そうか」とうなずきながら、心の中では、「困ったもんだな」と思っているとしたら、これはほんとうの意味での受容ではなく、受容の真似にすぎません。
たとえば、高校生くらいのクライエントが、「ぼくは好きなことをして暮らすんや。お父さんからはお金さえもらえればいい」などと言った場合、そういう相手の人生観を本気で受けいれることができるでしょうか。
表面的にはわかったように振る舞いながら、心の中では、「なにをアホなことを言っているか」と思っているとしたら、これもニセものです。
本気で相手を理解し、そういう人生観に共感できるなら、それはそれでいいのですが、私なら、一概には言えませんが、こういうときは次のように言うかもしれません。
「あなたが一生、お父さんのお金をもらって生きるつもりなら、もうここに来る必要はありません。私はそんな人のためにこの仕事をやっているわけじゃない。いますぐ帰ってください」
これは、いわば父性原理での対応です。父性原理には「切断」の機能があります。すると、クライエントは一つの刺激を受けてそれまでとは違ったことを考え、また新たな展開がはじまります。
母性に重心がかかっている
角野善宏さんは精神科医ですが、スイスのユング研究所でユング派分析家の資格も取得されて、病院の精神科に勤務されながら精神分裂病者に心理療法を試みられています。その角野さんは、父性のあり方について、次のような質問を寄せてきました。
「治療者として、父性を育てるためには、どのようにすればいいか。子育ての中で、個人的に父親像を鍛えることはできるだろうか。普遍性をもつ父性は、日本人にとってむずかしい課題であると思う。具体的なモデルでもいいので、教えてもらいたい」
カウンセリングとか心理療法というのは、まず受けいれることからはじまります。最初にクライエントを受けいれて、その中でその人がどう変わっていくかということですから、父性と母性という言い方をすると、母性的なものがまず前面に出ます。
普通だったら、たとえば不登校の子がいたら、「学校に行かなければだめじやないか」というような言い方をしますが、カウンセリングでは、してはいけないようなことでも、まず受けいれようとします。この最初の受容なくしては、クライエントとの人間関係をつくることは不可能です。
「治療者として、父性を育てるためには、どのようにすればいいか。子育ての中で、個人的に父親像を鍛えることはできるだろうか。普遍性をもつ父性は、日本人にとってむずかしい課題であると思う。具体的なモデルでもいいので、教えてもらいたい」
カウンセリングとか心理療法というのは、まず受けいれることからはじまります。最初にクライエントを受けいれて、その中でその人がどう変わっていくかということですから、父性と母性という言い方をすると、母性的なものがまず前面に出ます。
普通だったら、たとえば不登校の子がいたら、「学校に行かなければだめじやないか」というような言い方をしますが、カウンセリングでは、してはいけないようなことでも、まず受けいれようとします。この最初の受容なくしては、クライエントとの人間関係をつくることは不可能です。
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