日本の高齢者は貯金に励むのか。アンケート調査などでは、「老後が不安だから」という答えが圧倒的に多い。だが、平均的に見て日本人ほど老後不安の少ない国民はいない。老後の年金はどこよりも多いし、健康保険はあまねく普及している。持ち家の比率も高いし、子供の教育もしっかりとやっている。
それなのに、七十歳以上の人々がなお貯金を増やしているのは、「老後不安」だけでは説明できない。百七歳と百八歳でお亡くなりになった双子の姉妹、きんさんぎんさんも、死の直前まで「テレビ出演料は老後に備えて貯金します」といい続けていた。「老後不安」は、一種の流行(社会主観)なのだ。
では、高齢者の貯蓄熱の本当の理由は何か。恐らくその最大の原因は、高齢者がお金を出して得られる楽しみと誇りが少ないことだろう。規格大量生産型の近代工業社会を確立するに当たって、日本は三つの特色を創り上げたことは前述した。①官僚主導=業界協調の産業経済体制、②終身雇用、集団主義の日本式経営、そして③職場単属の職縁社会である。日本の高齢者のほとんどは、こうした世の中にどっぷりと浸ってその生涯を送ってきた。一つの職場に終身帰属し、職場と職業の縁で結ばれた人間関係に埋没し、情報も評判も楽しみもそのなかで得た。
このため、定年を迎えて退職してみると、人間関係は途絶え、情報も楽しみもなくなってしまう。ゴルフに興じようにも誘う者も誘ってくれる者もいない。カラオケに行くにも酒を飲むにも、ともにする相手がいない。そのうえ、この国の娯楽観光業も職縁社会に適応して、職場職業で繋がる社用客用にできている。
たとえば、退職後の夫妻が温泉旅館に行ったとしよう。玄関には「御夫妻様歓迎」とあり、しかるべき部屋に通される。だが、夕食に出て来る料理は、下の宴会場と同じ物、大抵は黒ずんだ鮪の刺身と固い海老が出て来る。職縁団体客がワイワイ騒ぎながら時間をかけて喰うのに適した量と見場のある料理だ。
2014年9月1日月曜日
2014年8月4日月曜日
ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった
ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった。有産階級だけではなく、ごく普通の人間も民主協会の集会には顔を出すことができたから、そこではさまざまな意見が噴出した。なかでも、アメリカの政権の悪口については意見がたえることがなかった。
工業化政策が批判されたり、君主制ににかよった政権のあり方にも多くの批判的意見が出された。またアメリカの独立革命の理念に刺激を受けて成就したフランス革命の物語は、ずいぷんと美化されて語られたりもした。
このような不満を抱いて集まる人間の集会のことを、ほかに適当な言葉がなかったのであろう、ジェファソンはパーティー(召晋)と呼んだ。家庭や宴会場で開くパーティーと同じ意味合いである。これがポリティカル≒パーティー(政党)の始まりである。
当時は、ヨーロッパや日本ではまだ封建主義体制が強力な時代である。アメリカでは、独立革命を起こして旧宗主国から離反したばかりであったが、紳士や淑女の間ではまだ穏健な社会の習慣が残っていた。政党政治などという考え方はまったくなかった時代であったから、人間たちが集まって、政府の現状に文句をつけるということ自体が考えられないことであった。
大統領を退いたばかりのジョージ・ワシントンは、ジェファソンの行っていることにたいして次のように不満を漏らした。
一部の人間が集まって騒ぎを引き起こしているが、彼らは配慮に欠けた人たちである。いったい自分たちの行っていることが、いかなる結果を引き起こすかということについて考えてみたことはあるのだろうか。また騒乱を起こす者だちというのは、いつの世でも世間のおおかたの支持は得られないものだということを、はたして彼らは知っているのだろうか。彼らの騒ぎは、けっきょくは社会から無視されてしまうものなのだ。
工業化政策が批判されたり、君主制ににかよった政権のあり方にも多くの批判的意見が出された。またアメリカの独立革命の理念に刺激を受けて成就したフランス革命の物語は、ずいぷんと美化されて語られたりもした。
このような不満を抱いて集まる人間の集会のことを、ほかに適当な言葉がなかったのであろう、ジェファソンはパーティー(召晋)と呼んだ。家庭や宴会場で開くパーティーと同じ意味合いである。これがポリティカル≒パーティー(政党)の始まりである。
当時は、ヨーロッパや日本ではまだ封建主義体制が強力な時代である。アメリカでは、独立革命を起こして旧宗主国から離反したばかりであったが、紳士や淑女の間ではまだ穏健な社会の習慣が残っていた。政党政治などという考え方はまったくなかった時代であったから、人間たちが集まって、政府の現状に文句をつけるということ自体が考えられないことであった。
大統領を退いたばかりのジョージ・ワシントンは、ジェファソンの行っていることにたいして次のように不満を漏らした。
一部の人間が集まって騒ぎを引き起こしているが、彼らは配慮に欠けた人たちである。いったい自分たちの行っていることが、いかなる結果を引き起こすかということについて考えてみたことはあるのだろうか。また騒乱を起こす者だちというのは、いつの世でも世間のおおかたの支持は得られないものだということを、はたして彼らは知っているのだろうか。彼らの騒ぎは、けっきょくは社会から無視されてしまうものなのだ。
2014年7月15日火曜日
構造改革とアイデンティティー維持
九八年一月にインドネシアがIMFと再交渉し、合意に達したあとでスハルト大統領が合意書にサインしている写真が一斉に雑誌・新聞に流れた。大統領の横には腕組みをして署名を見おろすIMFのカムデュシュ専務理事の姿があった。
この写真は多くのインドネシア人、そしてアジアの人々にとっては屈辱的なものとして受けとられた。私はカムデュシュ専務理事を個人的によく知っているし、彼がそういう傲慢な態度をとっていたわけではないのはよくわかるのだが、長い欧米の植民地支配を受けたアジアの人々に対する配慮がもう少しほしかったとも思うのである。
事実、最近のアジア危機に対する欧米の反応は、植民地主義の再来ととられかねない部分を含んでいる。アジアの奇跡だとか、二十一世紀はアジアの時代だとか、ここ五~十年のアジアに対する過大な期待に対する反作用だといってしまえばそれまでだが、アジアに対するある種の歴史的コンプレックスと優越感がそこには見られると思えるのはあながち私の偏見だけではないであろう。
何もアジアのナショナリズムをあおったり、狭い意味でのアジア主義を指向するつもりは全くない。しかし、アジアにしても日本にしても、それぞれの歴史・文化を維持しながらグローバリゼーションに対応していくべきであり、卑屈になって、自らのアイデンティティーーを捨てるような形での「構造改革」を行う必要がないことはいうまでもない。
韓国の財閥もインドネシアの政治コネクションも、それぞれ問題をかかえているのはたしかなのだから、改革すべきは改革したらいいし、欧米的システムから学べるところがあったら学んだらいい。しかし、そのことと自らの国あるいは文化のアイデンティティーを捨てることとは全く別のことである。
この写真は多くのインドネシア人、そしてアジアの人々にとっては屈辱的なものとして受けとられた。私はカムデュシュ専務理事を個人的によく知っているし、彼がそういう傲慢な態度をとっていたわけではないのはよくわかるのだが、長い欧米の植民地支配を受けたアジアの人々に対する配慮がもう少しほしかったとも思うのである。
事実、最近のアジア危機に対する欧米の反応は、植民地主義の再来ととられかねない部分を含んでいる。アジアの奇跡だとか、二十一世紀はアジアの時代だとか、ここ五~十年のアジアに対する過大な期待に対する反作用だといってしまえばそれまでだが、アジアに対するある種の歴史的コンプレックスと優越感がそこには見られると思えるのはあながち私の偏見だけではないであろう。
何もアジアのナショナリズムをあおったり、狭い意味でのアジア主義を指向するつもりは全くない。しかし、アジアにしても日本にしても、それぞれの歴史・文化を維持しながらグローバリゼーションに対応していくべきであり、卑屈になって、自らのアイデンティティーーを捨てるような形での「構造改革」を行う必要がないことはいうまでもない。
韓国の財閥もインドネシアの政治コネクションも、それぞれ問題をかかえているのはたしかなのだから、改革すべきは改革したらいいし、欧米的システムから学べるところがあったら学んだらいい。しかし、そのことと自らの国あるいは文化のアイデンティティーを捨てることとは全く別のことである。
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