インドネシアの企業も海外から膨大な資金を調達した。韓国の財閥もかなりの勢いで海外の資金を導入した。もともと貯蓄率の高い経済が、さらにそれに上積みする形で外国資本に依存したわけである。
しかも、それらの資金はドル建てで借人した資金だった。ドル建てということは、自国の通貨がドルに対して安定しているときはいいが、暴落したときはそれだけ借金が増えてしまう。例えば、インドネシアのルピアはいま一ドルー万三〇〇〇ルピア前後だが、ほとんどのインドネシア企業が借りたときは二五〇〇ルピアぐらいだった。この為替差損だけで借金が五倍に膨れてしまう。こうした資金に全面的に依存してきた企業なら破産してしまうことになる。
アジアの国々は、対外借入をするとき、実は為替リスクがあるということに気がついていなかった。言葉を換えれば、グローバル化、ヅアーチャル化に慣れていなかったのである。逆に、貸し手の側も、アジアは二十一世紀の成長センターという思いこみから、「アジアーリスク」というものの存在を意識せず、どんどん貸しこんでいった。
日本の銀行も競ってアジアに支店を出した。一番最後にやってきたヨーロッパの銀行もどんどんアジアに貸しこんでいった。しかも、普通ならカントリー・リスクがあり、クレジットーレーティングの低い国なら金利を上積みするのに、実際はほとんどプレミアムをとらず、低金利で貸しこんだのである。そして、最後に責任をとらないまま逃げ出してしまった。それによって危機がもたらされたのは周知の通りだ。非常に大量の資本が瞬時にして動く世界は、ある意味で非常にリスキーな世界なのである。
マハティール首相は、「我々が営々として戦後五十年かかって築いたものが、一瞬にしてなくなってしまう」と嘆いたと伝えられるが、相当数のアジアの人々が、自らの貯蓄と勤勉さで築いた富がマネーゲームで消えてしまったという割り切れない思いを抱いたのは当然のことである。
2015年10月1日木曜日
2015年9月1日火曜日
人口構造の変化
1960年代の高度経済成長の時代には、日本の国内市場でも同じような壮絶なシェア拡大競争が繰り広げられてきた。日本の企業はこうしたシェア競争が得意だったはずだ。競争がいきすぎて、あまりに同質競争になったことを反省したほどだ。国内市場が成熟化する中で、同質競争を脱することが必要といわれてきた。しかし中国市場で勝ち残るためには、高度経済成長の時代のDNAを掘り起こして同質競争に勝ち残らなくてはいけないのかもしれない。
2010年夏、中国の沿岸部の工場での賃上げやそれをめぐるストが大きな話題になった。50万人前後の労働者を使っているとされ、世界中の主力企業のために電子機器の生産を行っていた台湾系の富士康科技集団(フォックスコン)で地方出身の若い労働者の自殺が続いた。これがきっかけで、この会社は所得倍増ともいうような賃上げを行った。このころから沿岸部の多くの工場で賃上げの動きが顕著になり、日系企業の多くも中国での生産コスト上昇への対応を検討せざるをえない状況である。
この動きをどう見るべきなのだろうか。いろいろな見方があるだろう。一つは中国が直面する深刻な格差問題である。格差の大きさについては今さら強調する必要もないことだろうが、重要なことはそれが共産党一党独裁という政治体制の中で起きているということだ。政府のトップはこの事態を非常に重く見ているはずだ。人口の半分以上を占める貧しい国民の不満が蔓延すれば体制を揺るがす動きにもなりかねない。政府にとって労働者の賃金が上がっていくことはこうした不満を解消するうえで都合がよいことであることを理解する必要がある。
第二の論点は、中国の人口構造の変化である。中国が本格的に1人っ子政策をとってからすでに30年以上がたっている。若年労働者の数は頭打ちとなっている。総人口の中に占める生産年齢人口の割合も少しずつ減少し始め、2015年からはその絶対数も減り始めるようだ。こうした人口構造の変化がすぐに労働者の賃金に反映されるわけではないが、私にはこの人口動態の変化が気になる。そして第三の重要な視点は、人民元問題との関係だ。中国の輸出競争力を反映して、政治的にも経済的にも人民元に対して強い切り上げ圧力がかかっている。中国にとっては人民元を上げることのメリットは多いはずだが、さまざまな理由によってその切り上げに政府は慎重だ。
こうした中で、人民元を大きく切り上げなくても、企業のコストアップにつながる賃金の大幅な引き上げが起これば人民元の切り上げ幅を抑えることができる、という思惑を中国政府が持ってもおかしくない。経済学的には、為替レートが切り上がることと、国内の賃金や物価が上がることは同じ効果を持っているからだ。政治的に見ても、人民元切り上げに追い込まれたという形になるより、労働者が大幅賃上げを勝ち取ったという形にしたほうが好ましいという見方もあるだろう。中国の政治のトップの頭の中にそうした考えがあるのかどうかわからないが、賃金引き上げの動きは人民元の動きとの関連で考える必要がある。
2010年夏、中国の沿岸部の工場での賃上げやそれをめぐるストが大きな話題になった。50万人前後の労働者を使っているとされ、世界中の主力企業のために電子機器の生産を行っていた台湾系の富士康科技集団(フォックスコン)で地方出身の若い労働者の自殺が続いた。これがきっかけで、この会社は所得倍増ともいうような賃上げを行った。このころから沿岸部の多くの工場で賃上げの動きが顕著になり、日系企業の多くも中国での生産コスト上昇への対応を検討せざるをえない状況である。
この動きをどう見るべきなのだろうか。いろいろな見方があるだろう。一つは中国が直面する深刻な格差問題である。格差の大きさについては今さら強調する必要もないことだろうが、重要なことはそれが共産党一党独裁という政治体制の中で起きているということだ。政府のトップはこの事態を非常に重く見ているはずだ。人口の半分以上を占める貧しい国民の不満が蔓延すれば体制を揺るがす動きにもなりかねない。政府にとって労働者の賃金が上がっていくことはこうした不満を解消するうえで都合がよいことであることを理解する必要がある。
第二の論点は、中国の人口構造の変化である。中国が本格的に1人っ子政策をとってからすでに30年以上がたっている。若年労働者の数は頭打ちとなっている。総人口の中に占める生産年齢人口の割合も少しずつ減少し始め、2015年からはその絶対数も減り始めるようだ。こうした人口構造の変化がすぐに労働者の賃金に反映されるわけではないが、私にはこの人口動態の変化が気になる。そして第三の重要な視点は、人民元問題との関係だ。中国の輸出競争力を反映して、政治的にも経済的にも人民元に対して強い切り上げ圧力がかかっている。中国にとっては人民元を上げることのメリットは多いはずだが、さまざまな理由によってその切り上げに政府は慎重だ。
こうした中で、人民元を大きく切り上げなくても、企業のコストアップにつながる賃金の大幅な引き上げが起これば人民元の切り上げ幅を抑えることができる、という思惑を中国政府が持ってもおかしくない。経済学的には、為替レートが切り上がることと、国内の賃金や物価が上がることは同じ効果を持っているからだ。政治的に見ても、人民元切り上げに追い込まれたという形になるより、労働者が大幅賃上げを勝ち取ったという形にしたほうが好ましいという見方もあるだろう。中国の政治のトップの頭の中にそうした考えがあるのかどうかわからないが、賃金引き上げの動きは人民元の動きとの関連で考える必要がある。
2015年8月1日土曜日
一村一品運動の究極の目標
塾是は「継続、実践、啓発」私が塾生に常に言っている言葉が二つある。ひとつは「継続は力である」ということ。実践することはたやすい。しかし、失敗しても挫けずに、一度やり始めたらあくまでも継続する。これは難しい。不僥不屈は力の源泉である。
この言葉は、私の父が戦前に自分で設立した私立夜間学校の校訓でもあった。高等師範学校を卒業して大分に戻った父は、昼間働き夜勉強する子弟のための三年制の学校を創立した。入学時一〇〇人を超す生徒も、三年間継続しての通学は容易でなく、卒業時はわずか三〇人程度。まさに、「継続は力」なのである。
もう一つは、J・ネイスビッツの言葉で、「グ口ーバルに考え、ローカルに行動せよ」。豊の国づくり塾の活動は、市町村独自の塾の結成を誘発した。これまで二二塾。八八七人。市町村が主催しているものもあれば、若者たちが独自に開いている塾もある。
地域をおこすのは、東京からの知恵ではだめだ。あくまでも地域の特性に根ざした地方からの発想で、しかもグローバルな評価に耐えられるものでなければならない。一村一品運動の精神と同じである。自分たちの工夫でやっていく自主性を大切にしたい。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」である。
その豊の国づくり塾は、市町村塾の卒塾生も含めて、平成元年八月に「こすもすコース」(六〇人、一年間)を開設した。「こすもす」とは宇宙のこと。それぞれの地域が宇宙の中心となって、国内はもとより、世界各国との交流を広げ、ローカルにしてグローバルな地域を築くことを志している。
私の好きなこの『若者たち』の歌は、「塾歌」でもある。塾生を囲んで、夜を徹しての地域づくり論議。麦焼酎を片手に口角泡を飛ばす。最後に決まってこの歌が出る。地域で黙々と精進する若者たち。その行く道は険しく、かつ遠い。しかし、必ず未来は開けるものである。この歌は私たちに勇気を与えてくれる。地域を思う人がいる限り、過疎は怖くない。そういう人を育てたいと思っている。「人づくり」こそ、一村一品運動の究極の目標である。
この言葉は、私の父が戦前に自分で設立した私立夜間学校の校訓でもあった。高等師範学校を卒業して大分に戻った父は、昼間働き夜勉強する子弟のための三年制の学校を創立した。入学時一〇〇人を超す生徒も、三年間継続しての通学は容易でなく、卒業時はわずか三〇人程度。まさに、「継続は力」なのである。
もう一つは、J・ネイスビッツの言葉で、「グ口ーバルに考え、ローカルに行動せよ」。豊の国づくり塾の活動は、市町村独自の塾の結成を誘発した。これまで二二塾。八八七人。市町村が主催しているものもあれば、若者たちが独自に開いている塾もある。
地域をおこすのは、東京からの知恵ではだめだ。あくまでも地域の特性に根ざした地方からの発想で、しかもグローバルな評価に耐えられるものでなければならない。一村一品運動の精神と同じである。自分たちの工夫でやっていく自主性を大切にしたい。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」である。
その豊の国づくり塾は、市町村塾の卒塾生も含めて、平成元年八月に「こすもすコース」(六〇人、一年間)を開設した。「こすもす」とは宇宙のこと。それぞれの地域が宇宙の中心となって、国内はもとより、世界各国との交流を広げ、ローカルにしてグローバルな地域を築くことを志している。
私の好きなこの『若者たち』の歌は、「塾歌」でもある。塾生を囲んで、夜を徹しての地域づくり論議。麦焼酎を片手に口角泡を飛ばす。最後に決まってこの歌が出る。地域で黙々と精進する若者たち。その行く道は険しく、かつ遠い。しかし、必ず未来は開けるものである。この歌は私たちに勇気を与えてくれる。地域を思う人がいる限り、過疎は怖くない。そういう人を育てたいと思っている。「人づくり」こそ、一村一品運動の究極の目標である。
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