2012年5月16日水曜日

企業のモラルは地に堕ちています。

企業内の派閥抗争が派手に繰り広げられていた時代のほうがましだったかもしれない。トップが何か反社会的なことでもしでかしたら、もう一つの派閥にとって代わる。それが自浄能力にもつながっていたのに、もう、なぁなぁで、上の者すべてが利権集団化しました。

企業のモラルは地に堕ちています。企業倫理など求めるべくもないといっていいようにも思えます。それは製品や商品にも現れています。不良部品があってリコールになった自動車や電気製品があまりに目立つ。自分の作った商品に誇りを持つといった日本的経営の美徳も失われました。

二〇〇四年の三月だけを例にとっても、大型タイヤの脱輪事故で何人もの人々の命を奪いながら、なお責任を認めようとしなかった三菱自動車グループや、自動回転ドアの事故が相次いだのを放置したあげく、ついには六歳の男児犬死に至らしめ、それでも責任のなすり合いを始めた森ビルと三和シャッター工業などの醜態が繰り返されました。七〇年代から八〇年代の前半のバブルの前まで、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれていた頃まで、企業はもう少し真摯だったのではないでしょうか。

企業倫理はなくなったのか

金融、不動産業界はひどかった。仕事での収益が本当になくなってしまいました。バブルが崩壊しだのだから、昔の業態に戻ればいいのだけれども、今度はリストラ、倒産の嵐が待っていて、真面目に働くというタイプの人たちが辞めていくことになっていきました。会社に残った人は会社にしがみつくし、企業は余裕がなくなってすごく卑しくなってしまいました。

以前から、会社にいる人は、「私は組織の人間ですから」などとうそぶいては、一般の人間の常識とはかけ離れて仕事もしていましたけれども、それがますます進んでいったという感じです。

企業倫理はなくなったのか

バブル崩壊後は企業にとってまた、ひどい状況になります。倒産、合併が相次ぎますが、大手企業や銀行は、公的資金、つまり税金によって救済されているわけです。

最初の公的資金導人のときに、経済財政諮問会議で、経営者たちの責任はあとで追及することにして、今取りあえず救済するということを決めたけれど、あれからしてもうおかしい。少なくとも最初に、まず半ば見せしめ的に社長のクビが切られなければいけない。