2014年10月1日水曜日

ソ連社会主義の恐怖

一九一七年、レーニンの指導のもとに、ロシア革命がおこり、世界ではじめて社会主義国家、ソビエト連邦が成立しました。ソ連は一五の共和国かみ構成され、世界の陸地面積の六分の一を占め、人口三億人という巨大国家でした。ソ連は、一九九一年崩壊することになるわけですが、それまで、七〇年間にわたって、世界の社会主義国の上に君臨していました。

ロシアで最初の社会主義国家か成立したとき、世界の心ある人々は、長い間の、社会主義の夢が実現したことをよろこび、資本主義に代わって、新しい人間的な社会に向かって、人類の歩みがはじまったように思ったのです。ところが、ソ連社会主義七〇年の歴史は、このような期待が空しい幻想にすぎなかったことを示し、社会主義に対する人々の信頼を無残に打ちこわしてしまいました。レオ十三世が「レールムーノヴァルム」で警告された通りになってしまったのです。

ソ連社会主義のもとでは、労働者階級の立場を代表する共産党がすべての国家権力を掌握し、人々の生活を完全に管理していました。共産党が指導して国全体についての経済計画がたてられ、社会主義建設のために、すべての人民が奉仕するということになっていました。しかし、市民の基本的権利は無視され、個人め自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまいました。とくに、狂気におちいった独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万人という無実の人々が処刑されたのです。

ソ連共産党の支配は、ソ連だけでなく、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアなどの東欧の社会主義諸国におよびました。これらの国々はいずれも、軍事、経済、政治、すべての面で、ソ連の支配下におかれていました。第二次世界大戦後四〇年間にわたって、ソ連の苛酷な支配のもとで、人間的尊厳は失われ、経済は麻庫し、社会は寸断され、自然は徹底的に破壊されてしまいました。

ソ連社会主義の恐怖について、私自身実際に経験する機会を何度かもったことがありますか、つぎのエピソードは私にとって忘れることができません。一九九二年の一月から二月にかけて、私は、ヨーロッパの国々を回って、地球温暖化に対して、各国がどのような政策をとっているのかを調査しました。