2013年11月5日火曜日

ブータンの伝統的な独自色

いずれにせよ、一〇年に及んだ滞在中に、そしてその後現在に至るまでに、国王の側近や、政府の高官で第四代国王とじかに接する人だちから聞き及んだところ、そしてわたし自身の直接の経験から、次のような国王の人物像が浮かび上がってくる。何よりもまず、ストイックなまでに質素な人である。国王の住まいは、サムテンリンーパレスと呼ばれているが、パレス言殿とは名ばかりで、木立の中に建てられた本当にこぢんまりとしたいわゆるログキャビン(丸太小屋)である。このところ目覚ましい経済発展を遂げているブータンの首都ティンプは建設ラッシュで、個人の大きな住宅も多く新築されており、誰もが異口同音に「新富裕層のほうが国王よりも快適で豪華な家に住んでいる」と言っている。

車に関しても、国王が乗っているのは、最近ではちょっとした富裕層には一般的になってきたトヨタのランドクルーザーである。かつては国賓用に一台あったロールスロイスもいつのまにか姿を消し、普通の乗用車になっている。もちろん国王専用飛行機などというものはない。インドに公式訪問をする場合でも、ドゥクーエアのジェット機四機のうち一機を専用機として調達はしても、民間路線のスケジュールを乱すことはない。そして非常に飾り気がなく、形式張らない人である。たとえば、面謁の作法にしても、ブータンを含めたチベット文化圏では、貴人に会う時には「カタ」と呼ばれる真っ白な絹のスカーフを差し出すのが慣わしである。ブータンではこのカタにいくつもの種類があり、差し出す作法もかなり複雑である。これが、国王はじめ、王家の面々に拝謁する外国人泣かせであった。

わたしが滞在していた一九八〇年代までは、この作法が守られていたので、ブータンを離れてから数年して、一九九〇年代の中頃に国王に面謁を申し込んだ時、わたしは当然のこととして国王用め立派なカタを用意した。ところが国王執務室の入り口で、側近から「力夕は不要。普通におじぎなり、握手でよろしい」と告げられ、驚いた。後から聞くと、これはある日国王自身から「今後外国人はカタなしでよし」とのお達しがあったとのことである。このほかにも第四代国王の代に、ブータンの伝統的な独自色は保ちつつも簡略化された儀式が少なくない。

また、思いやりがあり、周囲に対する気配りを欠かさない人である。わたしが初めて国王の面前に出たのは、日本からの年配の訪問者があり、その人がゾンカ語も英語も解さないということで、急濾通訳として呼ばれた時である。この時驚いたのは、訪問者が国王の横に着席し、側近がお茶をお盆に載せて運んできた時、国王は側近にお盆を低いテーブルに置いて引き下がるように命じられたことである。その後、自らお茶を注ぎ、ミルク、砂糖を入れるかどうか、どの菓子がいいかを尋ねて、すべて自ら給仕された。そして拝謁は一時間ほど続いたが、この間誰一人として執務室に入ってこなかった。拝謁が終わってから、国王は自ら訪問者の手を取って、扉まで案内された。

わたしが、国王の周囲に対する気配りのすばらしさを痛感したのは、ある屋外での法要の時であった。詳しくはあとで述べる二〇〇三年末の軍事作戦の勝利を記念して、ティンプからプナカヘの途中にあるドチューラ峠に一〇九基からなる壮大なドウクーワンギェルーチョルテン(第四代ブータン国王勝利記念仏塔)が建立され、二〇〇四年夏に落慶法要が営まれた。わたしは偶然にもその時にティンプに居合わせたので、その法要に招待された。全王家、全政府が参列していたが、外国人は皇太后の招待客数人しかいなかった。儀式は午前中で終わり、昼食がふるまわれたが、建造物が一切ない所なので、すべてはブータン人が得意とするテント張りの、折り畳み椅子の仮設施設であった。