2014年12月1日月曜日

チェック・アンド・バランスが機能している

一般にアメリカでは、企業に高額の賠償金が科されることによって、消費者に確実に安全がもたらされるといった資料などもあります。これをどう評価するかは見方によりますが、少なくともそういうニュースはほとんど日本には紹介されません。

また、ごく素朴な疑問として、「一般人の出した判決など到底信用できない」という意見がアメリカにはないのか、と思われる方もいるかもしれません。しかし、陪審制でも「判決」を下すのは裁判官で、陪審員は「事実がどうであったか」ということを判断するだけなのです。

だから、その決定は「評決」と呼ばれます。陪審員の評決かおり、その後に、評決を元に裁判官の「判決」が出るという関係です。 すなわち、陪審員が決めた事実に、裁判官が法律を当てはめて、しかるべき結論を出す、というのが基本的な役割分担になっていて、陪審員の暴走を食い止めるのが裁判官の仕事でもあるのです。

これは一種のチェックーアンドーバランスの考え方ですが、今の日本の制度では「裁判官は絶対に暴走しない」という前提、田心い込みしかありません。そこで民事裁判では、先のハンバーガー事件のケースにもあったように、陪審評決が出ても裁判官の方で「これは高すぎるから半額にする」とか、「法律違反があった」という理由で陪審員とは違う判決を出すこともできるのです。

つまり、アメリカの民事裁判の場合には、どうみても陪審員が間違っていると判断したら、裁判官はそれを覆したり修正したりできるわけで、そこに裁判官の重い使命もあって、より妥当な結論を導く仕組みになっているのです。

2014年11月1日土曜日

北朝鮮の核・ミサイル開発疑惑

朝鮮半島では北朝鮮の核・ミサイル開発疑惑がなお完全に払拭できないものの、南北朝鮮はすでに非核化について合意。二〇〇〇年六月に平壌で分断後初めての南北首脳会談が開かれることが決まり、朝鮮半島の安定化に少なからぬ寄与が期待される段階を迎えた。

日米韓の協力体制によって、北朝鮮は軽水炉を提供する朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が動き出して、事実上の多国間の地域安保対話も始まっている。

北朝鮮はさらに日米両国との関係改善によって、新しい経済関係構築のきっかけを掴もうとしており、日朝間では九二年十一月以来途絶えていた国交正常化交渉の本会談(大使級)が、二〇〇〇年四月から七年二ヵ月ぶりに平壌で再開された。

また、米朝高官協議も順調に回を重ねており、二〇〇〇年中には相互に連絡事務所を設置する交渉がまとまりそうで、核疑惑をめぐって米国による対北朝鮮制裁が取りざたされた九四年当時のとげとげしい雰囲気は、もはやない。

一方、朝鮮半島問題と並ぶ東アジアのもう一つの大きな紛争要因である中台関係は、二〇〇〇年三月の台湾総統選を牽制するため、中国が「台湾白書」を発表して、その中で台湾統一のための武力行使の条件に、「無期限の交渉拒否」を追加したため、一時的に緊張が高まった。

しかし、九六年三月の総統選の前後に、台湾を威嚇する狙いで中国が行ったミサイル射撃の軍事演習に比べれば、緊迫感はそれはどなかった。中台間にはすでに九三年から、直接対話の道が開かれており、両岸の貿易、経済交流も拡大基調が続いていて、今後さらに直接対話を積み重ねていけば、中台関係は政治的な緊張緩和に向かう可能性を否定できない。

もちろん、楽観要因ばかりではない。北朝鮮は対米関係の改善に自らの体制の生き残りをかけているが、米国の巨大な軍事力を相変わらず敵視、米国が一つ対応を誤れば冒険主義に走らないとも限らない。

また、中国は米国との「戦略的パートナーシップ」の確立による協調を求めながらも、冷戦に一人勝ちして「世界一極支配体制」を固めつつある米国の覇権主義に警戒感を募らせ、軍事力の強化に余念がない。

しかし、全体として見れば、アジア太平洋地域の多国間協調の流れを押しとどめることはできまい。経済面では東アジアにアジア太平洋経済協力会議(APEC)、東南アジアには東南アジア諸国連合(ASEAN)、ASEAN自由貿易地域(AFTA)などの多国間協力のネットワークが築かれ、発展を続けている。

2014年10月1日水曜日

ソ連社会主義の恐怖

一九一七年、レーニンの指導のもとに、ロシア革命がおこり、世界ではじめて社会主義国家、ソビエト連邦が成立しました。ソ連は一五の共和国かみ構成され、世界の陸地面積の六分の一を占め、人口三億人という巨大国家でした。ソ連は、一九九一年崩壊することになるわけですが、それまで、七〇年間にわたって、世界の社会主義国の上に君臨していました。

ロシアで最初の社会主義国家か成立したとき、世界の心ある人々は、長い間の、社会主義の夢が実現したことをよろこび、資本主義に代わって、新しい人間的な社会に向かって、人類の歩みがはじまったように思ったのです。ところが、ソ連社会主義七〇年の歴史は、このような期待が空しい幻想にすぎなかったことを示し、社会主義に対する人々の信頼を無残に打ちこわしてしまいました。レオ十三世が「レールムーノヴァルム」で警告された通りになってしまったのです。

ソ連社会主義のもとでは、労働者階級の立場を代表する共産党がすべての国家権力を掌握し、人々の生活を完全に管理していました。共産党が指導して国全体についての経済計画がたてられ、社会主義建設のために、すべての人民が奉仕するということになっていました。しかし、市民の基本的権利は無視され、個人め自由は完全に剥奪され、人間的尊厳は跡形もなく失われてしまいました。とくに、狂気におちいった独裁者スターリンの支配下、ソ連全土が巨大な収容所と化し、何百万人という無実の人々が処刑されたのです。

ソ連共産党の支配は、ソ連だけでなく、ポーランド、東ドイツ、チェコスロヴァキア、ルーマニアなどの東欧の社会主義諸国におよびました。これらの国々はいずれも、軍事、経済、政治、すべての面で、ソ連の支配下におかれていました。第二次世界大戦後四〇年間にわたって、ソ連の苛酷な支配のもとで、人間的尊厳は失われ、経済は麻庫し、社会は寸断され、自然は徹底的に破壊されてしまいました。

ソ連社会主義の恐怖について、私自身実際に経験する機会を何度かもったことがありますか、つぎのエピソードは私にとって忘れることができません。一九九二年の一月から二月にかけて、私は、ヨーロッパの国々を回って、地球温暖化に対して、各国がどのような政策をとっているのかを調査しました。

2014年9月1日月曜日

高齢者の貯蓄熱の本当の理由

日本の高齢者は貯金に励むのか。アンケート調査などでは、「老後が不安だから」という答えが圧倒的に多い。だが、平均的に見て日本人ほど老後不安の少ない国民はいない。老後の年金はどこよりも多いし、健康保険はあまねく普及している。持ち家の比率も高いし、子供の教育もしっかりとやっている。

それなのに、七十歳以上の人々がなお貯金を増やしているのは、「老後不安」だけでは説明できない。百七歳と百八歳でお亡くなりになった双子の姉妹、きんさんぎんさんも、死の直前まで「テレビ出演料は老後に備えて貯金します」といい続けていた。「老後不安」は、一種の流行(社会主観)なのだ。

では、高齢者の貯蓄熱の本当の理由は何か。恐らくその最大の原因は、高齢者がお金を出して得られる楽しみと誇りが少ないことだろう。規格大量生産型の近代工業社会を確立するに当たって、日本は三つの特色を創り上げたことは前述した。①官僚主導=業界協調の産業経済体制、②終身雇用、集団主義の日本式経営、そして③職場単属の職縁社会である。日本の高齢者のほとんどは、こうした世の中にどっぷりと浸ってその生涯を送ってきた。一つの職場に終身帰属し、職場と職業の縁で結ばれた人間関係に埋没し、情報も評判も楽しみもそのなかで得た。

このため、定年を迎えて退職してみると、人間関係は途絶え、情報も楽しみもなくなってしまう。ゴルフに興じようにも誘う者も誘ってくれる者もいない。カラオケに行くにも酒を飲むにも、ともにする相手がいない。そのうえ、この国の娯楽観光業も職縁社会に適応して、職場職業で繋がる社用客用にできている。

たとえば、退職後の夫妻が温泉旅館に行ったとしよう。玄関には「御夫妻様歓迎」とあり、しかるべき部屋に通される。だが、夕食に出て来る料理は、下の宴会場と同じ物、大抵は黒ずんだ鮪の刺身と固い海老が出て来る。職縁団体客がワイワイ騒ぎながら時間をかけて喰うのに適した量と見場のある料理だ。

2014年8月4日月曜日

ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった

ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった。有産階級だけではなく、ごく普通の人間も民主協会の集会には顔を出すことができたから、そこではさまざまな意見が噴出した。なかでも、アメリカの政権の悪口については意見がたえることがなかった。

工業化政策が批判されたり、君主制ににかよった政権のあり方にも多くの批判的意見が出された。またアメリカの独立革命の理念に刺激を受けて成就したフランス革命の物語は、ずいぷんと美化されて語られたりもした。

このような不満を抱いて集まる人間の集会のことを、ほかに適当な言葉がなかったのであろう、ジェファソンはパーティー(召晋)と呼んだ。家庭や宴会場で開くパーティーと同じ意味合いである。これがポリティカル≒パーティー(政党)の始まりである。

当時は、ヨーロッパや日本ではまだ封建主義体制が強力な時代である。アメリカでは、独立革命を起こして旧宗主国から離反したばかりであったが、紳士や淑女の間ではまだ穏健な社会の習慣が残っていた。政党政治などという考え方はまったくなかった時代であったから、人間たちが集まって、政府の現状に文句をつけるということ自体が考えられないことであった。

大統領を退いたばかりのジョージ・ワシントンは、ジェファソンの行っていることにたいして次のように不満を漏らした。

一部の人間が集まって騒ぎを引き起こしているが、彼らは配慮に欠けた人たちである。いったい自分たちの行っていることが、いかなる結果を引き起こすかということについて考えてみたことはあるのだろうか。また騒乱を起こす者だちというのは、いつの世でも世間のおおかたの支持は得られないものだということを、はたして彼らは知っているのだろうか。彼らの騒ぎは、けっきょくは社会から無視されてしまうものなのだ。

2014年7月15日火曜日

構造改革とアイデンティティー維持

九八年一月にインドネシアがIMFと再交渉し、合意に達したあとでスハルト大統領が合意書にサインしている写真が一斉に雑誌・新聞に流れた。大統領の横には腕組みをして署名を見おろすIMFのカムデュシュ専務理事の姿があった。

この写真は多くのインドネシア人、そしてアジアの人々にとっては屈辱的なものとして受けとられた。私はカムデュシュ専務理事を個人的によく知っているし、彼がそういう傲慢な態度をとっていたわけではないのはよくわかるのだが、長い欧米の植民地支配を受けたアジアの人々に対する配慮がもう少しほしかったとも思うのである。

事実、最近のアジア危機に対する欧米の反応は、植民地主義の再来ととられかねない部分を含んでいる。アジアの奇跡だとか、二十一世紀はアジアの時代だとか、ここ五~十年のアジアに対する過大な期待に対する反作用だといってしまえばそれまでだが、アジアに対するある種の歴史的コンプレックスと優越感がそこには見られると思えるのはあながち私の偏見だけではないであろう。

何もアジアのナショナリズムをあおったり、狭い意味でのアジア主義を指向するつもりは全くない。しかし、アジアにしても日本にしても、それぞれの歴史・文化を維持しながらグローバリゼーションに対応していくべきであり、卑屈になって、自らのアイデンティティーーを捨てるような形での「構造改革」を行う必要がないことはいうまでもない。

韓国の財閥もインドネシアの政治コネクションも、それぞれ問題をかかえているのはたしかなのだから、改革すべきは改革したらいいし、欧米的システムから学べるところがあったら学んだらいい。しかし、そのことと自らの国あるいは文化のアイデンティティーを捨てることとは全く別のことである。

2014年7月1日火曜日

金銭の信託と種類

①から⑥の財産以外のものは信託会社では扱えないわけですが、信託法上は著作権、特許権、鉱業権、漁業権などの無体財産の信託もできます。信託業法がこうした財産の引き受けを制限したのは、信託会社が投機的な事業をしたり危険な財産を引き受けて経営の基礎を危くするのを防ぎ、受益者の保護をはかる趣旨から出たものですが、今日の信託会社の充実ぶりと、社会的役割の高まりを考えると、制限の緩和が望まれます。

そのほかに、特殊な信託として、零細農地などの生産能率を高めることを目的とした農業協同組合法による農地等の信託と森林組合法の森林の信託があります。なお、営業信託の一つですが信託業法とは別の法律(担保付社債信託法)によって認められているものとして担保付社債の信託があります。

初めに引き受けたときの信託財産がおカネであるものを金銭の信託といいます。このうち信託終了のときに元本をおカネで受益者に交付するものを金銭信託、そのときに運用している財産をそのまま交付するものを金銭信託以外の金銭の信託といいます。金銭の信託によって引き受けられたおカネは、あらかじめ信託契約で定められた方法によって運用されます。

受益者が契約通りに運用したものの、元本に損失が出たり、収益が予想していたようにあがらないということもあり得まナ。これを信託の実績配当の原則といい、受託者が誠実忠実に管理運用に当たっているかぎり受託者に責任はありません。この点、銀行の預金のようにあらかじめ利息を約定して、銀行の損得に関係なく元金と利子を預金者に支払うのとは全く異なります。

もっとも、一般の人々が普通に利用する金銭信託や貸付信託などは、信託会社が元本を保証する特約をつけることが認められていますし、その他の信託についても、専門家である信託会社が引き受けるのですから、法律論は別として、実際にはまず心配はないと考えられます。この金銭の信託はその運用の仕方や目的などにより、いろいろな信託型金融商品として取り扱われており、わが国における信託財産の九割以上を占め、それぞれの金額は、現状、膨大です。

2014年6月16日月曜日

発見・伝達の能力

ジャーナリズムの役割は現代社会における情報のデイトキーパーであった。しかし現実を報道してその役割を果たすために、ジャーナリストは、情報の大海のなかからなにが重要であるかを選択しなければならない。そこでジャーナリストに要求されるのは、重要な情報を発見し、選択し、それを広く公衆に伝達する能力である。さらにジャーナリズムが扱う内容にはニュース、意見、娯楽などの種類があるであろう。そこでジャーナリストにはこれらの内容別の取捨選択の能力が、要求されるのである。

こう考えると文化活動の機関としてのジャーナリストの活動は、彼が自由に使いこなすことのできる、論理と研究法とによって、大きく左右されることが分る。ゲイトキーパーとしてのジャーナリストは客観性を求め、事実と意見とを区別する際に社会的圧力を受けたり、個人的な能力の限界にぶつかるかもしれない。しかしながらデイトキーパーとしての、ジャーナリストの職業的規準は、何よりも科学的方法論の原則を現実の分析に適用して、ニュースの客観性を増大させることであろう。このようなジャーナリズムの働きについては、次の三点が重要であろう。

第一に文化的機関としてのジャーナリズムは、意見や論評を行うことよりもまず、その論理性と科学的分析の確実さによって、ゲイトキーパーとしての役割を果たさなければならないのである。このようにジャーナリズムが、科学的客観性を尊重するということは一人一人の読者が、その限られた経験を拡大して、彼の持つ個人的偏見を克服する手助けをすることでもある。

第二にゲイトキーパーの立場をとるということは、読者の合理的判断を強調することでもある。つまりそこには、読者に客観的な情報が伝えられれば、彼らは自分の利益を自分で判断するであろうという前提があるのである。このような前提に立たなければ、ジャーナリストは客観的報道を強調することはできない。客観的報道を尊重する限り、ジャーナリストは、たとえ社会的弱者を支援するためであっても、重要な情報を統制するようなことをしてはならない。

第三に世論の形成に関してゲイトキーパーは、公衆の間にある意見のうち、一致する部分はなんであるか、不一致はなにかを明確に示すことが可能である。さらにその一致する領域を拡大することも可能である。すなわちジャーナリズムは、メディアによる大衆操作を避けながら、しかも民主主義社会における、政治的な同意の形成に貢献することができるのである。その意味でデイトキーパーとしてのジャーナリズムの理想は、公衆に対する啓蒙的な役割を果たすことである。

2014年6月2日月曜日

もっとも危険なシナリオ

もう一つの可能性が、中国国内が不安定となってきた時、対外的緊張を作る目的で台湾に軍事侵攻を行うシナリオである。一九八二年、アルゼンチンは国内の経済困難と食糧、特に牛肉の値上げに端を発する反政府運動を[凹避するため、イギリスも領有権を主張し、実効支配していたフォークランド諸島に軍事侵攻を行って占領した。その結果は周知のとおりだが、この紛争の問はアルゼンチン川内の反政府運動が沈静化したのも事実である。このような方法ぱ、暫定的な手段にすぎず、根本的な問題の解決にならないのは明自なのだが、窮した政権がよく用いる方法でもある。

いずれにせよ、予見できる将来において中国が台湾に軍事侵攻をしようとも、成功するとは思えないが(中国が百万の兵力を消耗し、台湾全土をその資産と共に焼失破壊するのを覚悟の上で実施するならその限りではないが、それでは「台湾解放」の意味はないし、中国は長く世界から孤立を余儀なくされるであろう)、誤算、あるいは追いつめられての一策として、台湾に武力を指向する可能性を完全には否定できず、そうなれば、アジア・太平洋地域の安全保障にとって重大な影響が生じるのは間違いない。

そのような状態にならないなら、アジア・太平洋諸国にとって最も警戒すべき今後のシナリオは「現状維持」ということになる。現在は一見そう無茶なことはしそうもない政権だが、基本的には一党独裁の共産政権であり、その政権の維持のためには天安門事件のような武力行使も辞さず、自国の利益保護のためには一九九二年の領海法公布、ミスチーフ環礁やスカーボロ礁に見られるような領有権の既成事実化を進め、一九九五年、九六年の台湾の総統選挙に照準を合わせた軍事的惘喝に代表されるように、政権の目的遂行のためには時として世界世論を意に介さずに強行する政権が存続した。

しかしその下で、海外からの投資が続き、経済が成長し、高度技術の移転が行われ、「ゆっくりではあるが着実に」軍事力の近代化と強化が行われている状況である。五年、あるいは十年程度では、中国の軍事力ぱアジア・太平洋地域の安定にとって重大な脅威にならないとしても、十五年後、二十年後になって世界が気付いた時、中国の軍事力は容易ならぬものになっていた、という可能性が考えられる。

すでに、その可能性については日本が実証してみせている。日本の国防費(防衛予算)は長くGNPの一パーセントを超えないという足かせがはめられてきたが、その間に日本の経済は急成長を遂げ、したがってGNPも急上昇し、気付いた時にはこの制約条件下でも日本の国防費は世界有数のものとなり、それにより調達・配備された兵器も、また世界で一流のものとなっていた。その間、日本国民は国防費を重圧と感じることはなかった。

2014年5月22日木曜日

因果法則を満足させる三つの条件

われわれはこうして「因果法則」に関する、重要な二つの原則を明らかにすることができた。その第一は独立変数と従属変数との間には、時間的な順序があるという原則である。酒を飲んで酔が回るという現象があるとき、誰もまず酔が回ったから、酒を飲んだと考える者はいないであろう。言いかえれば独立変数における変化がまず生じて、次に従属変数における変化がおこるのである。スイッチを入れたからモーターが回るのであって、モーターが回ったからスイッチが入ったと、考える者はいまい。

次に因果法則における第二の条件は独立変数の値が変化すれば、従属変数の値も変るというように、二つの変数が共変(covariance)の関係にあるということである。ホテルの部屋に入ってスイッチをひねっても、目的の電燈がつかなければ、誰でもまず誤ったスイッチをひねったと思うであろう。そして他のスイッチを探して、目的の電燈がつくまで、次々にスイッチをひねってみるであろう。それは簡単な、「共変」の実験を試みているのである。このように変数の変化における時間的順序と、変数の共変とは、因果関係の存在を確かめるための、二つの基本的な条件なのである。

しかしながら因果関係の存在を確かめるためにはもう一つ、欠かすことのできない条件がある。それは今問題になっている独立変数を除いた、他の全ての変数に、重大な変化がないという条件である。これをローソクの焔の実験に戻って考えれば、次のように言うことができる。つまりフラスコの有無が、まさにローソクの焔の存在を決定する唯一の原因であることを証明するには、焔の存在に影響を与える、他の条件に変化のないことが、証明されなければならない。

このような条件を考慮に入れて、書き直したものである。この図に示したように、もしフラスコ以外の条件、たとえば室の気圧とか、温度とか、外気の成分に急激な変化が生じると、焔の存在に影響があるとする。もしそういう可能性が考えられるならば、実験者は、フラスコ以外の条件には変化がおこらないように、何か工大をしなければならない。そうしないと焔が消えたとき、その原因がフラスコでローソクを覆ったためなのか、それとも他の条件が急激に変化したためなのか、確定できないことになる。

つまり実験者は従属変数に影響を与える可能性を持つ、他の変数の値が変化しないよう、人工的にこれらの変数を統制(SほI)してやらなければならない。あるいは他の条件が変化しないという、仮定(assuヨーon)をおかなければならない。このように人工的に変化しないように統制された変数、あるいは変化しないと仮定された変数は、パラメター(parameter)と呼ばれている。そこでこのパラメターを含めて重要な点を繰り返せば、因果法則を確定するためには次の三つの条件が、満足されなければならないことになる。

まず独立変数の変化が、従属変数の変化に先行するという、時間的順序が確立されなければ息らない。次に両変数間の共変関係を確かめなければならない。そして最後に他の重要な変数が、変化しないという条件を確立しなければならない。実例としてあげたローソクの焔のような、自然科学の分野における単純な実験では、この三つの条件を満足させることは比較的容易であろう。しかし人間社会の研究において、このような三つの条件を、果たして満足させることができるであろうか。正直なところこれは大変に困難な仕事である。そして人間社会の科学的研究とはなによりも、この困難な問題に立ち向う勇敢な試みに他ならないということができる。

2014年5月2日金曜日

プライバティゼーション

Privatizationとは公営企業の民有化のことをいうのであるが、政府と民間企業とが伝統的に癒着した国柄に多く、かつ後進資本主義的発展国に特有の現象である。

西独は第二次大戦前からの国家社会主義的色彩に対する社会的反動もあり、共産主義への反感から、さらに歴史的にも地方分権的伝統からも運輸・通信等を除き国有化の進展は戦後の苦難期からもあまりみられなかった。一方、英国・フランス・日本は、国家所有に対し戦後の社会主義的影響もあって比較的寛容であった。

日英仏三国とも共通するのは、国家財政が実質上破綻に直面し、戦後四〇年が経過して産業構造の大転換か要請され、かつ官僚統制が比類なく強固に君臨しているという点である。

国有企業の特質としての非効率・低収益性・巨大な国家独占という性格は、実はそれがゆえに当初から国有化されてきたともいえる卵と鶏の関係であるともいえるが(個人や私的団体では手にあまる巨大事業、国益上必要な事業、私的独占に委ねられない全国的事業、国家的要請上必要だが収益上の危険あるもの等)、外国の例をみるまでもなく日本の国鉄やNTTという両極端の実例が示している現実である。現在、前述の日英仏では国有企業の株式公開が盛んで、その公開結果が三国の株式市況に与えている影響も大きいものがある。

2014年4月17日木曜日

一億総金融マインドの時代

機関投資家は、こうして集まった巨額の資金を積極的に株式市場で運用し、その結果、株式市場の取り引きにおける機関投資家のシェアが上昇した。ミューチュアルーファンドの急成長が現在のアメリカの株式市場を支えているといわれているが、同様の現象はすでにバブル期のわが国においてみられたわけである。バブル崩壊後のわが国株式市場の不振の一因には、バブル期の現象が逆回転し、ファントラ・特金・生保マネーなどが引き揚げたこともあろう。

このことは、もしアメリカの株価が下落傾向を示したとき、ミューチュアルーファンドが資金を引き揚げるようなことがあったならば、わが国のバブル崩壊どころの騒ぎでは済まなくなることを示している。その時にはまた、いくら自己責任の国・アメリカとはいえ、老後の生活に不安を覚えたアメリカ国民のパニックを誘うことであろう。

個人部門でも、年間資金調達額が八五年の九兆円から八九年には三二兆円に増加した。借金をしてまで金融活動に参加しようとの姿勢が見られる。一方、運用面では、規制金利預金から自由金利預金へのシフト、投資信託や一時払い養老保険を中心とする保険の急増が顕著であり、個人がより収益性に敏感になったことが分かる。主婦に到るまで、一億総金融マインドの時代になってしまった。新聞でも主婦向け財テク欄に大きな紙面が割かれ、テレビで株価や為替レートが毎日報道されるようになった。財テクに関心を持てない経営者は無能といわんばかりの罪深い経営書が、数多く出版された。

株式投資については、個人株主数(延べ数)が八五年度末の千六百万人から八九年度末には二千四百万人に増加した。また、個人の年間株式売買高も、八〇年代前半の年平均五百八十億株から、八〇年代後半は一千億株を超える水準にまで増加した。