2013年7月4日木曜日

公共工事は何でもかんでも無駄遣いだ

「経済成長率を下げてはならないので当面公共工事の水準は守るべきだ」という議論は必ず出てきますが、そもそも年間四〇兆円程度の税収に対して八〇兆円以上を使っている日本政府が、さらに公共工事を増やすというのであれば、歳出のうちの何を削って回すのか、あるいは増税を認めるのか、どちらかをセットにせざるを得ません。そして歳出削減、増税、いずれを取るにせよ、その分日本の内需はマクロ的な下降圧力を受けます。つまり、公共工事増額の分だけ経済成長率が純増することにはならないのです。

私は「公共工事は何でもかんでも無駄遣いだ」という決め付けにはまったく賛成できません。特に既存インフラの維持更新投資はこれからが本番です。ですが、生産年齢人口の長期的な大減少の下でも本当に必要なL事と、人目増加が前提になっている工事の区別をきちんとして、後者を取りやめにしていかないと、公共11事=税金のムダと全部にレッテルが貼られて、本当に必要な工事まで切り落とされかねません。すでにそういう危険は現実になりつつあります。関係者の皆さんは、どこに背水の陣をしくのかを考える必要があります。「内需拡大」を「経済成長」と言い間違えて要求するアメリカのピンボケ新聞、雑誌、ネットなどに載るコメントを見ていると、アメリカの政・財・学界関係者も「日本は生産性を上げて健全な経済成長を目指せ」と言い続ける人ばかりですね。彼らも経済成長と前にお話しした①②③の関係がよくわかっていないのではないでしょうか。

彼らが本当に言いたいのは、③の個人消費総額の維持増加(↓日本の内需拡大)であって、それに合わせてアメリカ製品も売りたい(あるいは日本からアメリカへの輸出を結果として抑制したい?)わけです。輸出だけが伸びて(アメリカにさんざん日本製品を売りつけて)内需はまったく伸びなかった(アメリカ製品はまるで[本で売れなかった]今世紀初頭の「戦後最長の好景気」を、再現して欲しいと思っているわけでは微塵もないでしょう。ですが彼らも、経済成長すれば内需も当然に拡大するという教科書の記述を、最近の日本ではそうはことが進んでいないにもかかわらず、無邪気に信じているわけです。

挙げ句の果てには、「個人所得が増えたのに個人消費が増えないのは、日本政府が何かヘンな規制をして市場を歪めているからに違いない」という、「イラク政府は大量破壊兵器を持っているに違いない」というのと似たような(善意なのかもしれないけれども短絡的な)即断をしてしまう。そして日本にいろいろ「構造改革」を要求してくるわけです。しかし一番大事な構造問題である「生産年齢人口の減少」を見過ごしたままですので、要求通りにしてもさして目覚ましい効果は生じません。「小泉改革」を進めるのか戻すのか、人によってあるいはモノによって極端に意見が違うようですが、一つ言えるのは進めようがやめようがどっちにしても、日本の内需はそれだけでは成長しないということです。「経済成長率」という見かけの数字だけは、どちらかによって上がるのかもしれないのですがね。

それどころか「規制を緩和して経済が自由に回るようになれば万事はいい方向に解決する」というアメリカ由来の理念を、自分も共有するフリをした一部の日本企業が、「雇用に関する規制緩和を活かし、給料や福利厚生関連費用の安い非正規社員を増やすことでコストダウンする」というビジネスモデルに傾斜しました。そのためますます「若い世代の給与の抑制」が深刻化し、かえってアメリカの望んでいる日本の内需拡大が遠ざかっています。ただ私はこれをもって「アメリカ由来の規制緩和路線はけしからん」と叫ぶ意見には与しません。先ほど規制緩和の理念を「共有するフリをした一部の日本企業」と申し上げましたが、そう、彼らがやっているのは「フリ」であって本気ではない。実際彼らは、新たに雇う若者の雇用を規制緩和に乗って流動化・低廉化させることは喜んで行いましたけれども、ある程度の年齢以上の正社員や退職者の、既得権化した処遇や福利厚生には総じて手をつけていないからです。