2015年5月1日金曜日

安全を重視する外貨準備

返す当てのない政府の借金が膨らむなかで、家計や企業が消費や投資を増やすだろうか。米国をはじめ世界各国はリーマンーショック以降の景気対策で大量の財政支出に踏み切ったが、財政赤字からの出口を模索する段階に入りつつある。当面の景気とのバランスは困難な課題だが、財政の立て直しは各国共通の目標になりつつある。一〇年六月、カナダで開いたG20サミットは首脳宣言で、先進国について一三年までに毎年の財政赤字を半減し、一六年までに政府債務残高のGDP比を安定ないし減少させることをうたった。日本にはそんな目標の達成は無理なので、直前に菅内閣が打ち出した財政運営戦略を「歓迎」するとして、例外扱いとされた。

当面の成長を重視する米国はその目標に反対だったが、欧州が強く求めた。その背景には、グローバルな投資資金が政府債務の信認危機に警鐘を鳴らしていることがある。国債が暴落したギリシヤはその典型だ。事態は、日本にとっても他人事ではない。にもかかわらず、日本が馬耳東風で来られたのは、日本の国債市場の特殊事情が作用している。それは、国内投資家による国債の保有比率が実に九五%にのぼるということである。日本は経常黒字国なので、国内の資金だけで国債が消化できてしまうのである。物価が継続的に下がるデフレの下では、多少なりとも金利の入ってくる国債は、相対的に有利な投資対象となる。企業や家計の資金需要が乏しいなか、銀行や生保、年金などのマネーが国債に向かい、巨額の財政赤字は国内だけで賄われてしまうという寸法だ。

このメカニズムこそが、失われた二十年で経済の決定的な破局が防がれたつっかい棒だったのである。その一方で、国債を元手に行われた政府の仕事は、極めて不採算なものが多く、経済全体の競争力を落としてしまった。マネーは国債に吸い込まれ、非効率な政府部門ばかりが肥大化していく。日本が「新たな失われた十年」に陥らないためには、マネーが国債という火消し壷に陥り、政府が膨張する悪循環を止める必要がある。デフレをストップさせ、成長の見取り図を描くことを、財政立て直しと同時に進めないといけない。

二〇年の段階では高齢化が一段と進み、肝心の国内貯蓄が底を尽き、国債の消化も覚束なくなっているに違いない。次の十年も無責任な行動を繰り返したら、我々は次の世代に対し大きな罪を犯すことになる。貯蓄を食いつぶし、経常収支が赤字に転落した後にやって来る円安は始末に負えない。政治指導者と有権者が事実を直視し、日本の生産性を高める努力を続けられるかどうか。市場によってそのことが真正面から問われる日は近い。