2013年8月28日水曜日

石垣島に憧れてやってくる若者たちの実態

たしかに規制はされているのだが、よく見れば規制区域がパズルのように入り組んでいて、全体を俯瞰すればゾーニング規制されていないのと同じ結果になっている。建築家の芦原義信氏が、日本人は〈「内から眺める景観」に重点をおき、「外から眺める景観」にはそれほど重点をおかなかった〉(『続・街並みの美学』)と書いたように、日本人は建物の内に坪庭を設えるような繊細な感覚を持ちながら、〈建物の壁面という壁面には、処狭しとばかりに看板や垂れ幕がとりつけられ、屋上には巨大な広告塔が設置され〉(前出同)ても平気な人種なのである。あるいは京都を訪れた日本人観光客が、刑務所のような京都新駅舎や、古刹に並ぶ自動販売機や、四条通の電柱が気にならないのと同じで、恩納村にやってくる観光客はダンプカーも派手な看板も目に入らないのかもしれない。

ある観光客は「恋人と二人でホテルの部屋から美しい海を眺めるだけで最高」と言ったが、「内から眺める景観」さえ申し分なければ満足できるのだろう。ただ、いつまでも日本人観光客が「内から眺める景観」だけで満足するとは思えない。現在、海外のリゾート地はテロや鳥インフルエンザといった不安定要因を抱えているが、もしもそれらが解消されたとき、果たして、それでも沖縄に行きたいという観光客はどれほどいるだろうか。「若夏」と書いて「うりずん」と読む。沖縄ではまだ暑さが厳しくない初夏のことをいうが、私はこの言葉が大好きだ。何かがはち切れそうに脹っている気配を感じる。〇八年の若夏に、私は久しぶりに石垣島を訪れた。観光、開発、移住。沖縄が抱えるさまざまな問題の縮図が石垣島にあると言われている。

たしかに、石垣空港を降りた途端、なるほどと思わせたのが、市街に向かう途中の様変わりだった。道路脇はどこもかしこもマンションだらけなのである。それも大半が1Kで、部屋代は月四万円~五万円という。「あと四、五年もすれば競売に出される物件も出てくるのでは」と囁かれるほどの過熱ぶりだそうだ。ところがその数力月後にサブプライムローン問題が起こり、あちこちで入居者がいない幽霊マンションがあらわれはじめた。いったい誰が住んでいたのだろうか。石垣島に住む知人の森隆さんはこう言った。「石垣には住民登録をしていない幽霊人口が一万人いると噂されているんです。ほとんどが飲み屋やホテルで働いている本土の若者で、この人たちを目当てに建てたんです。

ところが、観光客が減って彼らの仕事がなくなり、引き上げる人も出ています。ただ、全般的に土地価格は高止まりですね。白保に新空港ができるということで、それを期待しているんでしょう」白保に空港をつくる案は二転三転し、とりわけ九〇年代には賛成派と反対派で島内を二分した。私はその直後に石垣島を訪れたが、結納も終えて結婚式まで決まっていたカップルが、親が賛成派と反対派に分かれたために破談になったという話を何度も聞いたことがある。政治がからむと、前後の見境がつかなくなるのは、どうも石垣島民の体質らしい。沖縄への移住者というと、団塊の世代のようなリタイアしたシニア世代を想像するが、じつは二〇〇〇年の統計で、最も多いのが二〇歳から三九歳の若い人たちで、全体の七割を占める。もっとも移住ブームが起こったのが〇五年だから、現在はシニア世代がもっと増えているはずだが、若い世代が中心であることには変わりがない。

沖縄本島の都会化に比べたら、石垣島はまだまだ亜熱帯の自然がたくさん残され、ちょっと足を伸ばせばいたるところに小さな島があることが魅力なのだろう。こうした雰囲気に憧れてやってきた若い世代は、地元のホテルやダイビングショップで働いているという。実際、石垣市内にはダイビング関連の店舗が一〇〇以上あって、半分以上は本土出身者が経営しているそうで、1Kのマンションに住んでいるのはこういう店で働いている人たちだ。本土でダメだったヤツは沖縄に来れば何とかなるのか。石垣港の横手に広がる美咲町は、石垣島随一の繁華街だが、居酒屋で三線を引いているのはたいてい本土からやってきた若者だという。一五年ぶりに美咲町の居酒屋に入ったが、素人がつくったとしか思えないひどい味に閉口してしまった。