2014年8月4日月曜日

ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった

ジェファソンの民主協会はすぐに大きな評判となった。有産階級だけではなく、ごく普通の人間も民主協会の集会には顔を出すことができたから、そこではさまざまな意見が噴出した。なかでも、アメリカの政権の悪口については意見がたえることがなかった。

工業化政策が批判されたり、君主制ににかよった政権のあり方にも多くの批判的意見が出された。またアメリカの独立革命の理念に刺激を受けて成就したフランス革命の物語は、ずいぷんと美化されて語られたりもした。

このような不満を抱いて集まる人間の集会のことを、ほかに適当な言葉がなかったのであろう、ジェファソンはパーティー(召晋)と呼んだ。家庭や宴会場で開くパーティーと同じ意味合いである。これがポリティカル≒パーティー(政党)の始まりである。

当時は、ヨーロッパや日本ではまだ封建主義体制が強力な時代である。アメリカでは、独立革命を起こして旧宗主国から離反したばかりであったが、紳士や淑女の間ではまだ穏健な社会の習慣が残っていた。政党政治などという考え方はまったくなかった時代であったから、人間たちが集まって、政府の現状に文句をつけるということ自体が考えられないことであった。

大統領を退いたばかりのジョージ・ワシントンは、ジェファソンの行っていることにたいして次のように不満を漏らした。

一部の人間が集まって騒ぎを引き起こしているが、彼らは配慮に欠けた人たちである。いったい自分たちの行っていることが、いかなる結果を引き起こすかということについて考えてみたことはあるのだろうか。また騒乱を起こす者だちというのは、いつの世でも世間のおおかたの支持は得られないものだということを、はたして彼らは知っているのだろうか。彼らの騒ぎは、けっきょくは社会から無視されてしまうものなのだ。