2015年4月1日水曜日

アメリカ流ではなく日本流の価値観

つまり、国民の多くは、自由より規制を求めている。規制緩和を国民か求めているというのは政治的錯覚であることか明らかになった以上、自由の方向に揺れた社会を規制による秩序ある社会に戻すべく大きく方向転換することか、国民の声に基づく正しい政治ではなかろうか。しかし、このように規制を強化しようとするのは、グローバリゼーションという名で推し進められているアメリカ流儀に対する大きな挑戦となる。資本に対して、世界一般より厳しい規制を加えるとなると、アメリカからの強い反発が予想される。よほどの決意をもって望まなければ、すぐ腰砕けになってしまうだろう。なんといっても、今の日本人はアメリカの顔色をうかがっているばかりだから。日本と日本国民を守るという堅固な信念かなければ、できる相談ではない。では、その信念はどこから来るのか?

和を尊び、秩序を重んじ、平等を志向し、社会のために、長期的視点に立ち、安定に、金ではなくて徳を重んじることを、日本人と日本社会の基本として維持し続げることだ。この根本的な精神に基づいた制度、システム、やり方を追求することを、新しい「日本主義」として、わたしは提案したい。日本の価値観に基づき日本的な生き方を実現することを大きく掲げることが、わたしたちにとって、もっとも幸せなことではなかろうか。このような威勢のよいことを言うと、アメリカの影響を強く受けつつある日本にとって、あまりに非現実的なことのように聞こえるかもしれないか、アメリカの自由優先の考え方に断固抵抗する勇ましい姿も見られるようになってきている。

アメリカ型のスーパーのような大きな店の進出か、街中の小売店をつぶしてきたことは以前から大きな問題となっていた。アメリカからの圧力により一貫して大型店舗の出店に関する規制が緩和された結果、地方の中心街では、多くの店が廃業を余儀なくされ、シャツターが降りる沈黙の街へ変わり果ててしまった。さすかに地方も国も、こういう状況を放置できないとして、ついに腰を上げた。大型店は現在では土地か安い郊外に進出しており、ここに客を奪われるのか中心街の疲弊の原因であるとして、一万平方メートル以上の大型店の郊外立地を原則禁止、併せて自治体か大型店の立地を審査調整し拒否できる権限を与えることにしたのだ。

このような規制強化に対して、既存の流通大手や、小さな政府を推進し規制緩和を声高に叫ぶ人たちの間では激しい反対か沸き起こった。しかし、規制緩和を求める強い流れに抗して、政府自民党は決意を固め、改正案を国会で通し、二〇〇七年一一月より地域におげる大型店の規制強化か実行されはじめたのである。これは、政府と地方か、資本の自由な活動を放任しておけば国民のためにならないので、貸金業の場合と同様、規制を強化しなければならない、と大決断したことを意味する。日本の大手流通業はもとよりアメリカの強い反発かあることを承知のうえで、政府と地方は、「自由より秩序」、「競争より平等」を重んじる方向に舵を切ったのである。

明らかに、アメリカ流ではなく日本流の価値観に基づく行動だ。日本も決意を固めれば、新日本主義を世界のなかで実現することかできるのだ。さらに、アメリカ発金融危機は、「日本主義」にとっては大きな追い風となっている。今回の危機か起きたのは、アメリカでも規制か甘かったからだなどとの批判か多く、自由至上主義の国アメリカにおいても規制の再評価か進んでいる。オバマ大統領も就任演説のなかで、「今回の危機は市場に対する監視の目かなければ、市場は制御不能に陥ることを想起させる」と発言している。アメリカは自らがまいた種で世界を混乱に陥れたことにより、自信を失っている。日本的な考え方を世界に認知させるよいチャンスだ。堂々と日本主義を世界に発信すれば、その意義を認めさせることに成功するだろう。