2015年7月1日水曜日

専守防衛から集団的自衛権へ

首相になった後の一九八五年、国連総会で行った演説でも格調高い見識を述べている。「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、(中略)平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、憲法を制定しました。我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にならないことを内外に宣明したのであります。戦争と原爆の悲惨さを身をもって体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にあり得ないことであります。」日ごろの中曽根氏の言動、軍拡論と改憲論を知るものは奇異な感じを受けるかもしれない。外向けと内向けの器用な使い分けの印象もある。だが、ともかく専守防衛はこのように国際社会に向けても披漫されていたのである。

田中首相が一九七二年の国会答弁で「空中給油機の保有は不可」としたのも、空中給油機は専守防衛のもとで「保持しうる装備の限界をこえるのではないか」と追及されたためである。「田中三原則」は、敵基地攻撃能力は保持しないとする専守防衛政策の柱の一つだ。おなじ見地から核兵器、宇宙の軍事利用も、認められない、と政府当局は答えた。その原則が、一九九〇年代の「安保再定義」のなかで少しずつ食い破られていく。そこには九八年以降の北朝鮮の核ミサイル脅威で掻き立てられた排外的キャンペーンが影をおとしている。小泉内閣時の石破防衛庁長官や政府首脳の口から「敵基地攻撃論」「先制攻撃容認論」が公然と語られ、専守防衛をつき崩す姿勢にかっこうの口実を与えた。

「やられたらやり返すということ、相手の基地をたたくことは憲法上認められている」とする民主党の前原誠司議員に対し、石破長官は敵基地攻撃能力保有が「検討に値する」と答えている。その後、二〇〇一年決定の「中期防衛力整備計画」において空中給油・輸送機の整備が認められ、空自は、機体配備を待つのももどかしく米軍とのあいたで訓練を実施した。その二ヵ月後には、第二航空団のF15一〇機が、アメリカのアラスカ州で行われた多国間演習「コープザンダー」に参加するため、空中給油をうけながら太平洋往復飛行を行っている。片道五四〇〇キロの長距離飛行は、東北アジア全域への攻撃能力をみせつけ「敵基地攻撃論」の実体化を誇示した。

年を追って、専守防衛に対する風あたりは圧力を増す。いくつかあげると、二〇〇二年四月、「専守防衛」の概念の見直し。経済同友会「憲法問題調査会活動報告書」「長距離弾道ミサイルやレーダー誘導型ミサイルの拡散に伴い、昨今では一国の領域に侵入することなく攻撃を加え、甚大な被害を与えることが可能になってきた。また、サイバーテロリズムやその他のテロ行為など、新たな形態の危機に備える必要性も増してきている。このような中、敵対国からの直接的な侵攻・侵略を一義的に想定する我が国の「専守防衛」で、充分に対処できるのかという議論がある。」

「二〇〇三年五月二一日、安倍晋三宣房副長官の発言」「北朝鮮の核武装は日本には悪夢だ。それを今、防ぐ手立ては我々にはない。(中略)専守防衛は今後とも変わりはないが、兵器がどんどん進歩し戦術・戦略が変わっていく中で、今までの専守防衛の範囲でいいのかということも当然考えていかなければならない。」(読売国際会議2003)ニ〇〇三年六月二三日、「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」緊急声明」「時代に応じた「専守防衛」の考え方を再構築するために、これまでの国会答弁でも容認されているように、我が国に対する攻撃が切迫している場合等、必要最小限の「相手基地攻撃能力」を保有することができるようにすること。」