2015年12月1日火曜日

より深刻なのは大阪便

地方空港は今、国際線や国内基幹路線を多数抱える大都市の空港とは違い、利用客の増減によってその環境が目まぐるしく移り変わっている。松山空港でもこれまで「ドル箱路線」と呼び続けられてきた東京便が年明け以降、景気悪化に伴ってビジネス客の利用が減少。一方、ウォン安により国際線のソウル便は80%以上の搭乗率を記録している。4月から大手航空各社が大幅減便などを決めているなか、地方交通の現状を松山空港から探ってみた。

航空機の機種などによって差異はあるが、搭乗率の採算ラインとされるのは一般的に60~65%とされている。年間約150万人が利用する東京便。搭乗率は昨年11月までは70%を超えていたが、顕在化した景気の落ち込みの影響から、12月、1月と連続して一気に60%を割り込んだ。愛媛県庁に事務局を置く松山空港利用促進協議会は「不況の影響で企業が出張を手控えたことが大きく影響している」と分析している。

高速交通機関との競合がないこともあり、日本航空は昨年11月に実施した1日5便の増便を4月以降も継続することを決めているが、より深刻なのは大阪便だ。

とりわけ関西空港は大阪南部という不便さなどから、航空各社が相次いで同空港発着の各路線の減便や廃止を決定しているが、松山空港から1日6便(3往復)を運航する全日空の減便の判断の行方も注目されている。一方、伊丹便は2月の機材変更もあり、日本エアコミューターを含めた搭乗率は70%弱まで回復したものの、月間の搭乗者数は1万人近い落ち込みをみせている。

2015年11月2日月曜日

アジアの奇跡

アメリカ住宅市場のサブプライムーローン(信用度の低い個人向けローン)が問題になったのは、まだ三年前であり、とくに欧米の銀行システムが大問題を抱えていることが判明したのは、二〇〇七年八月である。また、二〇〇八年九月にリーマンーブラザーズの衝撃的な破綻が起こり、AIGとシティーグループ、それにバンクーオブーアメリカが事実上、国有化された結果、突如として世界中の消費と企業投資の減退を引き起こした。つまり、それらの混乱から、あまり時間が経っていないからである。今後、驚くような新たな出来事が、たしかに起こるかもしれない。そのことは、日本を思い起こしてみればよく分かる。

一九九〇年に日本の金融バブルが崩壊後、二圭二年経ったとき、「失われた十年」が本当に十年間続くと予言した人はいなかった。それだけでなく、今日に至っても、日本が賃金低下と家計支出の減少、高い失業率、そしてGDP(国内総生産)の二〇〇パーセント超に相当する公的債務に悩まされると予想した人も少なかった。ゆえに、今後もっと多くの変革が起こるかもしれない。二〇〇七~○九年の経済危機は、ひょっとすると見かけ以上に、深刻な長期的打撃を与えているかもしれない。にもかかわらず、二〇一〇年初期の現在に至って驚くのは、経済危機がわずかな変革をもたらしただけで、それが大きくなかったことである。

とくに欧米の金融市場が規制される点では、たしかに大きな変化が見られるだろう。また、アメリカやイギリス、その他のヨーロッパ諸国では財政赤字が増大するため、将来、増税もしくは歳出の削減、あるいは両方が実施されるだろう。だが、これらの変化は、じつは根本的なものではない。グローバルの流れは、健全なままである。保護主義の脅威はあるが、そのプロセスをひっくり返すほど強力ではない。中国やインドなどの新興国や発展途上国において、経済成長には、市場の自由化、民間部門の自由化が必要だという考えは変わっていない。とくにアジア諸国においては、政府が果たす役割は、アメリカに比べて大きい。しかし、それは日本が先導した。アジアの奇跡(東アジア諸国の急速な経済成長)という、半世紀を通じての話にすぎない。

アメリカやヨーロッパでは、いくつかの銀行が、とくにアメリカの場合には、自動車メーカーまでが国有化されたが、誰もこれを恒久的なものだとは思っていない。人々は、首相や大統領が銀行家や経営者になることを望んではいないのだ。唯一、大きな変革が予想される分野は、金融サービスの部門、なかでも投資銀行である。株主はリスクをより避けるようになり、金融規制関係者は、銀行に対し資本を拡充することを求めるだろう。また、デリバティブ(金融派生商品)市場は、より透明性を増し、厳格に規制されると思われる。

地政学の観点から見れば、明らかにこの金融危機がもたらしたといえる結果は、富める国だけでなく、貧しい国や発展途上国を加えたより広範な金融サミットG20(二〇力国・地域首脳会合)が創設されたことである。だが、厳密にいえば、その母体は存在していたので、拡大されたというほうが正確であろう。しかし、中国やインド、それにブラジルの重要性は以前から高まっていたので、G20に拡大するのは、もはや時間の問題であった。バラクーオバマ大統領が直面しでいる外交上の問題は、前任者が抱えたものとほぼ同じである。ただ、オバマ氏が大統領に選ばれたことや、それから生じた方針転換は、アメリカのイメージを世界的に向上させるきっかけにはなった。

2015年10月1日木曜日

アジア危機の主因は何か

インドネシアの企業も海外から膨大な資金を調達した。韓国の財閥もかなりの勢いで海外の資金を導入した。もともと貯蓄率の高い経済が、さらにそれに上積みする形で外国資本に依存したわけである。

しかも、それらの資金はドル建てで借人した資金だった。ドル建てということは、自国の通貨がドルに対して安定しているときはいいが、暴落したときはそれだけ借金が増えてしまう。例えば、インドネシアのルピアはいま一ドルー万三〇〇〇ルピア前後だが、ほとんどのインドネシア企業が借りたときは二五〇〇ルピアぐらいだった。この為替差損だけで借金が五倍に膨れてしまう。こうした資金に全面的に依存してきた企業なら破産してしまうことになる。

アジアの国々は、対外借入をするとき、実は為替リスクがあるということに気がついていなかった。言葉を換えれば、グローバル化、ヅアーチャル化に慣れていなかったのである。逆に、貸し手の側も、アジアは二十一世紀の成長センターという思いこみから、「アジアーリスク」というものの存在を意識せず、どんどん貸しこんでいった。

日本の銀行も競ってアジアに支店を出した。一番最後にやってきたヨーロッパの銀行もどんどんアジアに貸しこんでいった。しかも、普通ならカントリー・リスクがあり、クレジットーレーティングの低い国なら金利を上積みするのに、実際はほとんどプレミアムをとらず、低金利で貸しこんだのである。そして、最後に責任をとらないまま逃げ出してしまった。それによって危機がもたらされたのは周知の通りだ。非常に大量の資本が瞬時にして動く世界は、ある意味で非常にリスキーな世界なのである。

マハティール首相は、「我々が営々として戦後五十年かかって築いたものが、一瞬にしてなくなってしまう」と嘆いたと伝えられるが、相当数のアジアの人々が、自らの貯蓄と勤勉さで築いた富がマネーゲームで消えてしまったという割り切れない思いを抱いたのは当然のことである。

2015年9月1日火曜日

人口構造の変化

1960年代の高度経済成長の時代には、日本の国内市場でも同じような壮絶なシェア拡大競争が繰り広げられてきた。日本の企業はこうしたシェア競争が得意だったはずだ。競争がいきすぎて、あまりに同質競争になったことを反省したほどだ。国内市場が成熟化する中で、同質競争を脱することが必要といわれてきた。しかし中国市場で勝ち残るためには、高度経済成長の時代のDNAを掘り起こして同質競争に勝ち残らなくてはいけないのかもしれない。

2010年夏、中国の沿岸部の工場での賃上げやそれをめぐるストが大きな話題になった。50万人前後の労働者を使っているとされ、世界中の主力企業のために電子機器の生産を行っていた台湾系の富士康科技集団(フォックスコン)で地方出身の若い労働者の自殺が続いた。これがきっかけで、この会社は所得倍増ともいうような賃上げを行った。このころから沿岸部の多くの工場で賃上げの動きが顕著になり、日系企業の多くも中国での生産コスト上昇への対応を検討せざるをえない状況である。

この動きをどう見るべきなのだろうか。いろいろな見方があるだろう。一つは中国が直面する深刻な格差問題である。格差の大きさについては今さら強調する必要もないことだろうが、重要なことはそれが共産党一党独裁という政治体制の中で起きているということだ。政府のトップはこの事態を非常に重く見ているはずだ。人口の半分以上を占める貧しい国民の不満が蔓延すれば体制を揺るがす動きにもなりかねない。政府にとって労働者の賃金が上がっていくことはこうした不満を解消するうえで都合がよいことであることを理解する必要がある。

第二の論点は、中国の人口構造の変化である。中国が本格的に1人っ子政策をとってからすでに30年以上がたっている。若年労働者の数は頭打ちとなっている。総人口の中に占める生産年齢人口の割合も少しずつ減少し始め、2015年からはその絶対数も減り始めるようだ。こうした人口構造の変化がすぐに労働者の賃金に反映されるわけではないが、私にはこの人口動態の変化が気になる。そして第三の重要な視点は、人民元問題との関係だ。中国の輸出競争力を反映して、政治的にも経済的にも人民元に対して強い切り上げ圧力がかかっている。中国にとっては人民元を上げることのメリットは多いはずだが、さまざまな理由によってその切り上げに政府は慎重だ。

こうした中で、人民元を大きく切り上げなくても、企業のコストアップにつながる賃金の大幅な引き上げが起これば人民元の切り上げ幅を抑えることができる、という思惑を中国政府が持ってもおかしくない。経済学的には、為替レートが切り上がることと、国内の賃金や物価が上がることは同じ効果を持っているからだ。政治的に見ても、人民元切り上げに追い込まれたという形になるより、労働者が大幅賃上げを勝ち取ったという形にしたほうが好ましいという見方もあるだろう。中国の政治のトップの頭の中にそうした考えがあるのかどうかわからないが、賃金引き上げの動きは人民元の動きとの関連で考える必要がある。

2015年8月1日土曜日

一村一品運動の究極の目標

塾是は「継続、実践、啓発」私が塾生に常に言っている言葉が二つある。ひとつは「継続は力である」ということ。実践することはたやすい。しかし、失敗しても挫けずに、一度やり始めたらあくまでも継続する。これは難しい。不僥不屈は力の源泉である。

この言葉は、私の父が戦前に自分で設立した私立夜間学校の校訓でもあった。高等師範学校を卒業して大分に戻った父は、昼間働き夜勉強する子弟のための三年制の学校を創立した。入学時一〇〇人を超す生徒も、三年間継続しての通学は容易でなく、卒業時はわずか三〇人程度。まさに、「継続は力」なのである。

もう一つは、J・ネイスビッツの言葉で、「グ口ーバルに考え、ローカルに行動せよ」。豊の国づくり塾の活動は、市町村独自の塾の結成を誘発した。これまで二二塾。八八七人。市町村が主催しているものもあれば、若者たちが独自に開いている塾もある。

地域をおこすのは、東京からの知恵ではだめだ。あくまでも地域の特性に根ざした地方からの発想で、しかもグローバルな評価に耐えられるものでなければならない。一村一品運動の精神と同じである。自分たちの工夫でやっていく自主性を大切にしたい。「グローバルに考え、ローカルに行動せよ」である。

その豊の国づくり塾は、市町村塾の卒塾生も含めて、平成元年八月に「こすもすコース」(六〇人、一年間)を開設した。「こすもす」とは宇宙のこと。それぞれの地域が宇宙の中心となって、国内はもとより、世界各国との交流を広げ、ローカルにしてグローバルな地域を築くことを志している。
 
私の好きなこの『若者たち』の歌は、「塾歌」でもある。塾生を囲んで、夜を徹しての地域づくり論議。麦焼酎を片手に口角泡を飛ばす。最後に決まってこの歌が出る。地域で黙々と精進する若者たち。その行く道は険しく、かつ遠い。しかし、必ず未来は開けるものである。この歌は私たちに勇気を与えてくれる。地域を思う人がいる限り、過疎は怖くない。そういう人を育てたいと思っている。「人づくり」こそ、一村一品運動の究極の目標である。

2015年7月1日水曜日

専守防衛から集団的自衛権へ

首相になった後の一九八五年、国連総会で行った演説でも格調高い見識を述べている。「戦争終結後、我々日本人は、超国家主義と軍国主義の跳梁を許し、世界の諸国民にもまた自国民にも多大の惨害をもたらしたこの戦争を厳しく反省しました。日本国民は、祖国再建に取り組むに当たって、(中略)平和と自由、民主主義と人道主義を至高の価値とする国是を定め、憲法を制定しました。我が国は、平和国家をめざして専守防衛に徹し、二度と再び軍事大国にならないことを内外に宣明したのであります。戦争と原爆の悲惨さを身をもって体験した国民として、軍国主義の復活は永遠にあり得ないことであります。」日ごろの中曽根氏の言動、軍拡論と改憲論を知るものは奇異な感じを受けるかもしれない。外向けと内向けの器用な使い分けの印象もある。だが、ともかく専守防衛はこのように国際社会に向けても披漫されていたのである。

田中首相が一九七二年の国会答弁で「空中給油機の保有は不可」としたのも、空中給油機は専守防衛のもとで「保持しうる装備の限界をこえるのではないか」と追及されたためである。「田中三原則」は、敵基地攻撃能力は保持しないとする専守防衛政策の柱の一つだ。おなじ見地から核兵器、宇宙の軍事利用も、認められない、と政府当局は答えた。その原則が、一九九〇年代の「安保再定義」のなかで少しずつ食い破られていく。そこには九八年以降の北朝鮮の核ミサイル脅威で掻き立てられた排外的キャンペーンが影をおとしている。小泉内閣時の石破防衛庁長官や政府首脳の口から「敵基地攻撃論」「先制攻撃容認論」が公然と語られ、専守防衛をつき崩す姿勢にかっこうの口実を与えた。

「やられたらやり返すということ、相手の基地をたたくことは憲法上認められている」とする民主党の前原誠司議員に対し、石破長官は敵基地攻撃能力保有が「検討に値する」と答えている。その後、二〇〇一年決定の「中期防衛力整備計画」において空中給油・輸送機の整備が認められ、空自は、機体配備を待つのももどかしく米軍とのあいたで訓練を実施した。その二ヵ月後には、第二航空団のF15一〇機が、アメリカのアラスカ州で行われた多国間演習「コープザンダー」に参加するため、空中給油をうけながら太平洋往復飛行を行っている。片道五四〇〇キロの長距離飛行は、東北アジア全域への攻撃能力をみせつけ「敵基地攻撃論」の実体化を誇示した。

年を追って、専守防衛に対する風あたりは圧力を増す。いくつかあげると、二〇〇二年四月、「専守防衛」の概念の見直し。経済同友会「憲法問題調査会活動報告書」「長距離弾道ミサイルやレーダー誘導型ミサイルの拡散に伴い、昨今では一国の領域に侵入することなく攻撃を加え、甚大な被害を与えることが可能になってきた。また、サイバーテロリズムやその他のテロ行為など、新たな形態の危機に備える必要性も増してきている。このような中、敵対国からの直接的な侵攻・侵略を一義的に想定する我が国の「専守防衛」で、充分に対処できるのかという議論がある。」

「二〇〇三年五月二一日、安倍晋三宣房副長官の発言」「北朝鮮の核武装は日本には悪夢だ。それを今、防ぐ手立ては我々にはない。(中略)専守防衛は今後とも変わりはないが、兵器がどんどん進歩し戦術・戦略が変わっていく中で、今までの専守防衛の範囲でいいのかということも当然考えていかなければならない。」(読売国際会議2003)ニ〇〇三年六月二三日、「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」緊急声明」「時代に応じた「専守防衛」の考え方を再構築するために、これまでの国会答弁でも容認されているように、我が国に対する攻撃が切迫している場合等、必要最小限の「相手基地攻撃能力」を保有することができるようにすること。」

2015年6月1日月曜日

中国軍事力の近代化

軍事力の近代化にともなって、中国の軍事戦略は大きく変わった。侵攻してくる敵を人民の海の中に誘い込み、包囲・殲滅する遊撃戦主体の毛沢東の「人民戦争戦略」は郵小平時代に放棄され、その代わりに国境付近で外敵の侵略を撃退する局地戦争(限定戦争)に対応した「積極的防禦戦略」が導入された。改革・開放の結果、沿岸部に発展した諸都市の防衛が中国軍にとって急務となったからである。この新戦略の主役となるのは、「合成集団軍」である。

外敵の近代的な機甲師団を撃破するため、兵力、機動力、火力の面で敵を圧倒する装備を持った軍隊の編成だ。歩兵中心のマンパワーに頼ってきた従来の中国軍とはまったく異なる、近代的装備の軍隊のエースこそ、合成集団軍なのである。「精簡整編」をスローガンに進められた軍制改革の結果、中国軍の兵員総数は八〇年代の四百二十万人から、現在は三百万人体制ヘー段とスリム化した。中国軍は常時臨戦態勢の軍隊から、有事に即応性の高い、機動力のある近代的な軍隊へと変貌をとげたのである。中国軍が以前に比べてより進攻型の性格を強く感じさせるのは、このためだ。陸上戦略の転換によって、海洋戦略もまた画期的な改変を見た。

沿海部の都市や軍事施設の警備を中心とする従来の沿岸防衛から、現在は領海の防衛を中心とする近海防衛に重点が移ったのだ。そのための中国海軍近代化の象徴として、航空母艦の保有・建造問題が浮上している。中国外交当局は外国との空母の共同建造や外国からの購入を明確に否定しているが、中国中央軍事委員会が空母二隻を十ヵ年計画で建造する決定をしたとの報道もある。このような海上戦略の転換によって、海洋権益の確保や海上輸送ルートの安全保障を図るためにも、将来、空母保有の必要性が高まることも予想されるのだが、近隣諸国が懸念すべきことは、それよりもむしろ、「シーレーンの航行妨害や台湾の海上封鎖などに威力を発揮するロシア製のキロ級潜水艦の購入や、旧ロメオ級を改良した宋級潜水艦の建造など、潜水艦の戦力増強の動きであろう」(阿部純一「海洋をめざす中国の軍事戦略」『国際問題』九六年十月号)と専門家は見ている。

2015年5月1日金曜日

安全を重視する外貨準備

返す当てのない政府の借金が膨らむなかで、家計や企業が消費や投資を増やすだろうか。米国をはじめ世界各国はリーマンーショック以降の景気対策で大量の財政支出に踏み切ったが、財政赤字からの出口を模索する段階に入りつつある。当面の景気とのバランスは困難な課題だが、財政の立て直しは各国共通の目標になりつつある。一〇年六月、カナダで開いたG20サミットは首脳宣言で、先進国について一三年までに毎年の財政赤字を半減し、一六年までに政府債務残高のGDP比を安定ないし減少させることをうたった。日本にはそんな目標の達成は無理なので、直前に菅内閣が打ち出した財政運営戦略を「歓迎」するとして、例外扱いとされた。

当面の成長を重視する米国はその目標に反対だったが、欧州が強く求めた。その背景には、グローバルな投資資金が政府債務の信認危機に警鐘を鳴らしていることがある。国債が暴落したギリシヤはその典型だ。事態は、日本にとっても他人事ではない。にもかかわらず、日本が馬耳東風で来られたのは、日本の国債市場の特殊事情が作用している。それは、国内投資家による国債の保有比率が実に九五%にのぼるということである。日本は経常黒字国なので、国内の資金だけで国債が消化できてしまうのである。物価が継続的に下がるデフレの下では、多少なりとも金利の入ってくる国債は、相対的に有利な投資対象となる。企業や家計の資金需要が乏しいなか、銀行や生保、年金などのマネーが国債に向かい、巨額の財政赤字は国内だけで賄われてしまうという寸法だ。

このメカニズムこそが、失われた二十年で経済の決定的な破局が防がれたつっかい棒だったのである。その一方で、国債を元手に行われた政府の仕事は、極めて不採算なものが多く、経済全体の競争力を落としてしまった。マネーは国債に吸い込まれ、非効率な政府部門ばかりが肥大化していく。日本が「新たな失われた十年」に陥らないためには、マネーが国債という火消し壷に陥り、政府が膨張する悪循環を止める必要がある。デフレをストップさせ、成長の見取り図を描くことを、財政立て直しと同時に進めないといけない。

二〇年の段階では高齢化が一段と進み、肝心の国内貯蓄が底を尽き、国債の消化も覚束なくなっているに違いない。次の十年も無責任な行動を繰り返したら、我々は次の世代に対し大きな罪を犯すことになる。貯蓄を食いつぶし、経常収支が赤字に転落した後にやって来る円安は始末に負えない。政治指導者と有権者が事実を直視し、日本の生産性を高める努力を続けられるかどうか。市場によってそのことが真正面から問われる日は近い。

2015年4月1日水曜日

アメリカ流ではなく日本流の価値観

つまり、国民の多くは、自由より規制を求めている。規制緩和を国民か求めているというのは政治的錯覚であることか明らかになった以上、自由の方向に揺れた社会を規制による秩序ある社会に戻すべく大きく方向転換することか、国民の声に基づく正しい政治ではなかろうか。しかし、このように規制を強化しようとするのは、グローバリゼーションという名で推し進められているアメリカ流儀に対する大きな挑戦となる。資本に対して、世界一般より厳しい規制を加えるとなると、アメリカからの強い反発が予想される。よほどの決意をもって望まなければ、すぐ腰砕けになってしまうだろう。なんといっても、今の日本人はアメリカの顔色をうかがっているばかりだから。日本と日本国民を守るという堅固な信念かなければ、できる相談ではない。では、その信念はどこから来るのか?

和を尊び、秩序を重んじ、平等を志向し、社会のために、長期的視点に立ち、安定に、金ではなくて徳を重んじることを、日本人と日本社会の基本として維持し続げることだ。この根本的な精神に基づいた制度、システム、やり方を追求することを、新しい「日本主義」として、わたしは提案したい。日本の価値観に基づき日本的な生き方を実現することを大きく掲げることが、わたしたちにとって、もっとも幸せなことではなかろうか。このような威勢のよいことを言うと、アメリカの影響を強く受けつつある日本にとって、あまりに非現実的なことのように聞こえるかもしれないか、アメリカの自由優先の考え方に断固抵抗する勇ましい姿も見られるようになってきている。

アメリカ型のスーパーのような大きな店の進出か、街中の小売店をつぶしてきたことは以前から大きな問題となっていた。アメリカからの圧力により一貫して大型店舗の出店に関する規制が緩和された結果、地方の中心街では、多くの店が廃業を余儀なくされ、シャツターが降りる沈黙の街へ変わり果ててしまった。さすかに地方も国も、こういう状況を放置できないとして、ついに腰を上げた。大型店は現在では土地か安い郊外に進出しており、ここに客を奪われるのか中心街の疲弊の原因であるとして、一万平方メートル以上の大型店の郊外立地を原則禁止、併せて自治体か大型店の立地を審査調整し拒否できる権限を与えることにしたのだ。

このような規制強化に対して、既存の流通大手や、小さな政府を推進し規制緩和を声高に叫ぶ人たちの間では激しい反対か沸き起こった。しかし、規制緩和を求める強い流れに抗して、政府自民党は決意を固め、改正案を国会で通し、二〇〇七年一一月より地域におげる大型店の規制強化か実行されはじめたのである。これは、政府と地方か、資本の自由な活動を放任しておけば国民のためにならないので、貸金業の場合と同様、規制を強化しなければならない、と大決断したことを意味する。日本の大手流通業はもとよりアメリカの強い反発かあることを承知のうえで、政府と地方は、「自由より秩序」、「競争より平等」を重んじる方向に舵を切ったのである。

明らかに、アメリカ流ではなく日本流の価値観に基づく行動だ。日本も決意を固めれば、新日本主義を世界のなかで実現することかできるのだ。さらに、アメリカ発金融危機は、「日本主義」にとっては大きな追い風となっている。今回の危機か起きたのは、アメリカでも規制か甘かったからだなどとの批判か多く、自由至上主義の国アメリカにおいても規制の再評価か進んでいる。オバマ大統領も就任演説のなかで、「今回の危機は市場に対する監視の目かなければ、市場は制御不能に陥ることを想起させる」と発言している。アメリカは自らがまいた種で世界を混乱に陥れたことにより、自信を失っている。日本的な考え方を世界に認知させるよいチャンスだ。堂々と日本主義を世界に発信すれば、その意義を認めさせることに成功するだろう。

2015年3月2日月曜日

変革型リーダーの育成

国内から配置したこのキーマンは現地人幹部との信頼関係の醸成はもちろんのこと、当社の持つノウハウを個別の地域に適合させ見事に事業を発展させました。配置し、地位を渡した結果、地位が人を育てたと言いますか、育つたというのが私の率直な感想です。こうして人が育っていくという当社の実態を見たときに、変革型リーダー育成のための人事部門の最大の役割は、人材の探索に尽きると考えております。単にラインの評価の良い人を集結せよと言っているのではありません。事業か直面する課題、経営トップが次に打って出たいと考えている分野、誰もやったことがない仕事、分野、市場へのチャレンジ等々を担える人材を経営トップが求めた時点でタイムリーに提示できる能力を求めています。

そのためには、例えば人事部門は次のような目を持つことが重要です。①現在の事業の中核を担っている、評価の良い人材をさらに異分野で生かすとすればどのような分野に期待ができるのか、②現時点の評価はともかく、機会があれば大きく化ける人材は誰か、③ほかの人と違う感性やスペシャリティを持っている人は、④人間関係・組み合わせなど、ちょっとしたことにつまずいて十分、能力を発揮できていない人、埋もれている人が組織には少なからずいるという視点などです。

しかし、OJTだけで、あとは個人の資質と努力に頼るだけでは会社が必要とする十分な素養を個々人は得ることができませんし、事業の発展スピードにも対応できません。OJTだけでは得られない最低限の知識や、経営理念をより深く理解し、自分のモノとするための経営層とのディスカッションの機会や先達の知恵、リーダーとしての身の処し方などサラリーマンでは普通は接しえない人材との接点を会社は準備する必要かあると思っています。そのために、主に日本人を対象にした経営幹部塾、外国人対象のビジネススクールを2004年秋にスタートさせました。経営幹部塾には大きく2つの目的があります。1つ目は受講生の経営者としての資質・ポテンシャルを経営トップが見極め、評価する機会とすること。2つ目はギリギリの場面での決断力・判断力などトップ経営者の資質を醸成することです。

変革型リーダーの育成とは、知識や先達に学ぶばかりでなく、修羅場に追い込んで、自らを律し、さらに言えばそれを苦しみと言わずに変革にこそ喜びを見いだす人材を育成していくことであると考えています。また、スペシャリティを身につけさせることが重要だと感じております。この道だけは誰にも負けない、というものを習得させたいと考えています。スベシャリティは何でもいい。語学でも経理でも、コンプレッサー技術でも、何か1つのことを極めたからこそ見えるものがあります。若い人にはそういうことを経験したうえで人格形成をしていってほしいと思います。修羅場の経験と、何か1つのことを極めることを前提としたうえで次の2点が変革型リーダー育成の今後の課題と考えています。

1点目の課題は、若いうちから豊富な経験をさせ、育成していくことです。より若いうちから鍛え、計画的な修羅場経験を通じて経営の視点を醸成することが重要であり、優秀な若手の質的向上を意図的に仕掛ける育成策が必要だと感じています。2点目は多彩な、異質なメンバーをチームとして束ね、1つの方向に導くリーダーシップ(ダイバーシティーマネジメント)の醸成です。グループ経営理念、人を基軸に置いた経営の理解・徹底と、それらに基づくリーダーシップカ、対話力、ダイバーシティーマネジメントを実践できる人材を育成していくことか求められています。

2015年2月2日月曜日

コソボ介入が露呈したもの

米国の優位は、何よりも軍備の面で際立っている。長・中・短距離の核ミサイルはもちろんのこと、通常兵器においても、その威力と精度において隔絶している。

湾岸戦争でも見られたように、レーダーによる誘導技術に支えられた「ピンポイント」爆撃能力は、遠くない将来、核兵器を無用化してしまうほどのものになる可能性を示している。

保有する装備の強大さに加え、良し悪しの評価は別として、いざとなれば実力を行使する意思を発揮し得るという点でも、米国は傑出している。

今日の世界において、国際社会のならず者を取り締まる警察力を発揮しうるのは米国だけである。本来なら設立時の理想に沿って警察機能を発揮すべき国連に実力と意思結集力がないだけに、世界秩序に対する米国の統率力は、事実上あらゆる国が認めざるを得ない。

この事実を如実に示しだのが、九八年から九九年にかけてのコソボ紛争であった。米国にとっては、国益上さしたる実利をともなわず、むしろ「国連安保理事会の決議にもとづかない国際法違反の独善的軍事力の行使」という汚名を着ることになった介入である。

「ソ連・東欧勢に対抗する同盟機構」として始まったNATOが、仮想敵を失ったあと、「国際正義(人道)のための介入」という新たな使命を追求することになった今日、白昼公然たる非人道行為に対し無力であるわけにいかないという、NATOの盟主としての立場ゆえの介入であった。

換言すれば、米国は「軍事カナンバーワン」として自縄自縛にあったということになろう。自国領土の防衛に限れば「無用の長物」ともいえる特異性を持つ米国の軍事力が、その特異性をそのままに発揮したといえる。

コソボ紛争渦中のベオグラード中国大使館爆撃では、情報面のお粗末さを見せつけた米国だが、世界的規模での軍事力展開において、何よりもものをいうのは人工衛星を利用した米国の情報力である。

古来、戦争を制するのは情報力だが、軍事技術が極度に高度化していく中で、米国の情報収集・分折・伝達に関するハード、ソフト両面の機能は、隔絶したものがある。

特に、「世界の二地占一(具体的には朝鮮半島とペルシャ湾)で同時に発生した地域紛争に対処する兵力展開能力」を前提として組み立てられた米国の世界戦略とこれを支える情報機能に比肩しうるような能力は、当分の間世界のどの国にとっても考えられないであろう。

2015年1月5日月曜日

電力自由化からスマートグリッドヘ

そのような前史があったところに、一九九〇年代の「モバイル革命」と「インターネット革命」が起きた。水平分業の各レイヤーで、多くの新規プレーヤーが参加して、一大競争が始まった。携帯電話会社同士の競争が始まり、インターネットのプロバイダ(接続業者)同士の闘いが行われ、インターネット上で各種のサービスを提供するアプリケーションサービスプロバイダ同士も競い合った。多くの分野でさまざまなイノベーションが一気に開花したのが、一九九〇年代以降の話だ。エネルギー産業も通信産業とよく似たところがあって、一九九〇年代半ば以降、米国やヨーロッパで電力の自由化が進展したことは前にも述べた。これはいわゆる「発送電の分離」で、それまでの垂直統合の一社独占構造が崩れ、水平分業化が進展した。発電と送電網の分離は川上側の変化だから、通信で言う長距離とローカルの分離に近い。

この段階では、ユーザーにもわかるような変化が起きたわけではない。これも通信と同じだ。電力の自由化で電気料金が若干安くなった程度の話にすぎなかった。ただ、ここで水平分業化を進めておいたことが、その後のイノベーション爆発の呼び水となっていく可能性が高いのである。電力市場のイノベーションの本番はこれからだ。電力の世界でインターネット革命に相当するのは、「スマートグリッド(次世代送電網)」「省エネ低炭素型の分散型電力利用・発蓄電技術」のイノベーションだ。エンドユーザーに近い川下側の革命がこれから起きる可能性が高まっているのである。通信ネットワークで電力の供給側とエンドユーザー側、あるいは供給者問、ユーザー間を結び、IT技術と価格メカニズムも活用しながら電力需給の最適かつ絶妙なバランスを実現する。

再生可能子不ルギーを有効に使ううえでも欠かせない技術だ。そしてピークカットによって大型発電所への依存度も下げていく。このスマートグリッド周辺で、いままさに、さまざまなイノベーションが起こり始めているのだ。残念ながら、日本はいまだに発送電分離を認めておらず、地域独占の垂直統合型を維持している。欧米の動きと比べると、周回遅れと言ってもいいくらいのレベルなのだが、東日本大震災と福島第一原発事故を機に、パンドラの箱が開きかかっている。これを思い切り開放すれば、一気に遅れを挽回できる。そして通信でそうであったように、このイノベーションは、電力周りのビジネスを一気にグローバル化させる。省エネと人口減少で売り上げ低下圧力に悩む電力会社自身にとっても、また周辺の機器メーカーやITサービスにとっても千載一遇のチャンスなのだ。

にだが、いまのところ各電力会社の動きは鈍い。「スマートグリッドというけれど、それはいまだに各地で停電が頻発する米国だから必要なのであって、電力の安定供給が実現できている日本は現状でも十分『スマート』だ」というのが彼らの言い分だ。たしかに、分散的に発電して、分散的に電力を使うスマートグリッドの仕組みには、現状でさまざまな問題点があることは私も知っている。だが、そうした技術的な問題は、時間がたてば克服できるのだ。それはインターネットの歴史が証明している。

インターネットが登場したばかりの頃、NTTなどの「伝統的な」通信事業者の技術者の多くは、「インターネットなんて、接続を保証しないベストエフォート型のサービスだろう。安定供給が第一の我々が直接やるような仕事ではない」と言っていた。交換機を頂点とした中央集権型の垂直統合モデルに慣れた彼らにとって、中心を持だないネットワーク型のサービスはどこか信用できなかったのだろう。たしかに最初の頃は、インターネット回線はよく帽斡を起こしていて、つながらないこともあった。だが、中央集権システムにも弱点がある。中央が落ちたら全滅なのだ。しかしインターネットなら、回線のどこかがダウンしてもそこを迂回していけるので、いきなり全滅することはない。