2012年6月20日水曜日

たとえ「冷たい人」と思われても

人は誰でもはじめてのところに行くときには緊張しますが、わかっている場所なら安心できます。いつも決まった場所でやるのは、それだけクライエントの精神的負担を軽くし、集中しやすくするためです。

時間については、私の場合は一回五十分を基本にしていますが、これも体験の中から出てきた目安で、人間の時間感覚からして、一時間以上、集中を継続させることはなかなかむずかしい。

欧米の学校の授業でも、五十分やって十分から十五分の休憩を挟むというのが一般的です。かつて、日本では二時間ぶっ通しで授業をやっていたこともありますが、先生も生徒も中だるみしながらやっていました。コンサートや芝居でも、ほぼ一時間ぐらいをメドに必ず幕間とか休憩がありますが、これは演じるほうにも見る側にも意味があることです。

ただ、自分の中で時間と場所と料金の枠組みを崩さないというのは、かなりの経験がいりますし、実際にはなかなかむずかしい場面もあります。

心理療法は一種の闘いみたいなものです。クライエントがいろいろ雑談めいた話をして、あと五分ほどで終わるというときになって、やっと、「先生、私はもうだめです。もう死にます」などと言いだすことがあります。

それならはじめから「死にます」と言ってくれたらいいのに、最後の五分ぐらいのところで言うから、慣れないカウンセラーだと、ここでとまどったり、うろたえたりしてしまいます。

「死にます」と言われると、放ってはおけませんから、しかたなく枠組みを崩して、十分とか十五分延ばして話を聴いていくと、なんとかおさまって帰っていく。

その次に来たときに、こちらが、この前の死ぬという話はどうなったかと気にしていると、今度もまたぐだぐだと無駄話を続ける。そういうときには、こちらから父性を前面に出してビシツと言うことも必要になってきます。

「あなた、そうやっていろいろ話をしてるけど、最後に『死ぬ』と言うんじやないだろうね」この判断はむずかしいけれども、これをやらないと、いつも同じ逃げのパターンに引きこまれて、これでは相手も変わっていきません。枠組みがどんどん崩れていけば、カウンセラーのほうも危険な状態になります。