いつも終わりごろになると死ぬ話をもちだされるというのでは、こちらもしだいにイライラしてきます。その腹立たしさを残したままだと、次の面接のときにいやな気持ちで会うことになり、それを相手も感じとりますから、結局、どちらもおかしくなってしまう。
ですから、あるときに、スパツと言うことも必要になるわけです。その場合も、時間的な枠組みが決まっていれば、どこでそれを言うかの目安が立てやすいでしょう。
みんなそれぞれに深刻な話ですし、人によって深刻さの性質も密度も違いますから、どのケースでも毎回、五十分なら五十分できちっとかたをつけるのはたしかにむずかしいことです。
とくに日本の社会には時間感覚にあいまいなところがありますから、つい長引かせてしまいがちですが、やはりこれを守らないと、結果的にクライエントのために、また自分のためにも、悪い影響が出てきます。
だから、自分に妥協せず、むしろクライエントを教育していくことも必要になります。たとえば、「この前は五十分で切ってしまったから、ぼくのことを冷たい人だと思ったんじやないですか」などと言ってあげると、クライエントも、「ああ、この先生はわかっている」と思って、納得してくれる。
ただ、あまり細かく説明すると、自己防衛的に言いわけをしていると思われて、逆効果です。だから、「この前は冷たい人だと思ったでしょう」と言って、相手が「はい」と言ったら、それ以上の弁解はつけません。そうしておけば、相手が攻撃できる可能性が残ります。そこを残しておかなければならない。そして、攻撃されたら、それをしっかり受けとめる。
とにかく、心理療法家は、受けることが大事です。相手から「逃げている」と思われたら、そこまでです。そのあたりが。お互いに弁解し。遠慮しあって、社交的なかたぢがととのっていくという普通の会話とは違うところです。
しかし、こうしたことは、心理療法家とクライエントの間だけでなく、一般社会の人間関係でも通用することではないでしょうか。私は会議のときなどに、意図的にこの手法でやることがあります。